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【動画】朝まで生テレビの見逃し配信無料視聴方法!再放送は?

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【動画】朝まで生テレビの見逃し配信無料視聴方法!再放送は?

テレビ朝日で放送されている長寿番組の「朝まで生テレビ!(朝生)」の見逃し配信を無料視聴する方法を紹介したいと思います。動画配信といえばTVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)などが思い浮かびますが、無料動画配信はそれらのサービスが全てではありません。

今回ご紹介する「朝まで生テレビ!(朝生)」の動画は現在配信されていませんが、今後配信されるとすれば、それは動画配信サービス「U-NEXT」になるのではないかと思われます。

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それでは「朝まで生テレビ!(朝生)」について紹介していきたいと思います。

「朝まで生テレビ!(朝生)」広島サミット

1987年スタートの深夜討論番組。今月の放送で36年目を迎えます。今月のテーマは「激論!ド〜する?!広島サミット、ウクライナ・核なき世界」です。

膠着状態のウクライナ戦争はウクライナ・ロシア双方に人的被害が拡大し続けています。そんな中、来月7年ぶりに日本が議長国となるG7が広島で開催されます。『朝まで生テレビ!』ではG7サミットを前に、“ウクライナ戦争の即時停戦と和平交渉”は可能か?核戦争を回避する為には?日本は国際秩序回復のため何ができるのか?など、唯一の戦争被爆国、日本が議長国として何を提言できるのか、多士済々で徹底討論します。

「朝まで生テレビ!(朝生)」の出演者

【司会】田原総一朗
【進行】渡辺宜嗣・下平さやか

◇パネリスト
片山さつき(自民党・参議院議員)
階猛(立憲民主党・衆議院議員)

大空幸星(NPOあなたのいばしょ理事長)
小原凡司(笹川平和財団上席研究員、元駐中国防衛駐在官)
木村三浩(対米自立・民族派「一水会」代表)
猿田佐世(新外交イニシアティブ代表、弁護士)
武隈喜一(国際情勢ウォッチャー、元テレビ朝日報道局長(米ロ駐在))
中村涼香(KNOW NUKES TOKYO共同代表、上智大学在籍)
羽場久美子(青山学院大学名誉教授、世界国際関係学会アジア太平洋会長)
森本敏(拓殖大学顧問、元防衛大臣)

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「朝まで生テレビ!(朝生)」の詳細

ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました!

気になる箇所へ飛んでみてくださいませ!

・番組情報についてはこちらから

・番組出演者はこちらから

・番組内容ついてはこちらから

「朝まで生テレビ!(朝生)」の概要

「朝まで生テレビ!(朝生)」は、毎月最終金曜の翌日土曜未明に、テレビ朝日系列(ANN系列)で放送されている政治関連を中心とした討論深夜長寿番組である。略称は『朝生』(あさなま)。

1987年(昭和62年)4月25日(24日深夜)放送開始。毎回社会的に賛否の分かれる1つのテーマを設定し、そのテーマに関係する当事者・評論家などをゲストに集め討論を行う。初代プロデューサーは大野弘義、ディレクターは日下雄一としてスタートした。

その後、プロデューサー日下雄一、吉成英夫、渡辺信太郎他、構成は久利一他、ディレクターは武田一宏、森林華子他、ブレーンは純丘曜彰(純丘皦綺)他。

今までに取り上げたテーマは政治、天皇、皇室、女性差別、朝鮮問題、原子力発電、部落差別、右翼、左翼、核兵器、経済、宗教、若者、戦後補償、安全保障、少子高齢化、教育、援助交際、プロ野球、テレビ、メディア規制、日本国憲法、年金、IT、アメリカ、北朝鮮、中国、イラク、地方自治などと幅広いが、基本的に社会科学系の分野にテーマが集中することが多く、自然科学系の話題が討論テーマに上ることはほとんどない。また、2000年までは少年犯罪やキレる若者など、政治以外の社会問題を取り上げることも多かったが、現在では政治以外のテーマを取り上げることはほとんどなくなっている。

タブーとされてきたものを取り上げることもある。オウム真理教や幸福の科学など新宗教関係者を出演させたことがあるが、統一教会(旧:世界基督教統一神霊協会、現・世界平和統一家庭連合)を取り上げたことはない。

番組開始当初、このような討論番組は日本には合わないのではないかと思われていたが、取り扱う内容、パネリストの激論、司会役である田原総一朗の、時には強引とも思えるような進行などで視聴者を獲得した。この番組が成功したことで、深夜枠を含め討論番組が幾つか作られるようになった。

番組テーマ曲は、Jeff Newmann And His Orchestra の「Positive Force」(日本国内でのCDリリースはなし、単曲音楽配信販売)であり、同時期、情報番組『パソコンサンデー』(テレビ大阪制作・テレビ東京系列)でも同曲が使われていた。テーマ曲の音源、番組のタイトルロゴなどのオープニングは、放映開始から同じ物を使い続けているため、映像技術が進化した21世紀現在では古くなっている事が、一般の視聴者にもわかる程である。パネリスト登場の際のテーマ曲は、Hypnosisの「Droid」。

2017年4月1日(3月31日深夜)放送分 『激論! 原発事故から6年〜その教訓と課題』で丸30年、360回(番組内呼称は第360弾)を迎えた。

放送時間・ネット局
放送時間は、12月分を除き基本的にテレビ朝日系列の各局で毎月最終金曜日の翌日未明(土曜日未明)の1:25 - 4:25(以下すべてJST。金曜深夜)である。当初は1:00 - 6:00で、2009年9月分までは1:20 - 4:20であったが同年10月分から金曜23時台「金曜ナイトドラマ」の5分延長に伴い5分繰り下がり現在に至る。

現在のネット局
テレビ朝日系列のうち東日本放送・メ〜テレ(2009年10月分より)・琉球朝日放送は、基本的に討論参加者が登場した直後の1:34から飛び乗りする。愛媛朝日テレビは2009年9月分まで飛び乗りで放送していたが、自社製作番組が枠移動したことから2009年10月分以降はフルネットで放送している。山形テレビ・九州朝日放送は2009年10月分より飛び乗りで放送していたが、現在はフルネットで放送している。北陸朝日放送では2009年10月分から2020年3月分までは1:34飛び乗りで放送していたが、2020年4月からフルネットで放送している。

当初は関東ローカルであったが次第にネット局が増加した(1988年の放送時点ではテレビ朝日(ANB)、瀬戸内海放送(KSB)、九州朝日放送(KBC)の3局ネット)。1989年4月から全国ネットになる。朝日放送は1988年度から毎週土曜未明の「フリーチャンネル」枠で『朝生』放送日のみネットしており、新聞のラテ欄で1:24開始と表記しているが実際は1:25開始である。TBS系列の山陰放送は過去の経緯からテレビ朝日の番組も放送されており本番組も複数回放送された。CS放送の朝日ニュースター(2013年4月以降はテレ朝チャンネル2)は、2012年3月放送分で一時終了したが同年10月6日(テレビ朝日系列同年9月放送分)から再開して、原則月初土曜日と月末最終土曜日10:00 - 13:00に放送している。鹿児島放送は編成上 1:25 - 4:24(179分)だが本編の放送時間に影響はない。

過去
石川テレビ(フジテレビ系列。1989年4月分から1991年8月分まで放送、北陸朝日放送開局まで。ただし北陸朝日放送開局との兼ね合いで、1991年9月分の麻原彰晃出演分は石川県では石川テレビ・北陸朝日放送とも放送されなかった)
山形放送(当時日本テレビ系列・テレビ朝日系列。1989年4月分から、山形テレビがテレビ朝日系列に加盟した1993年3月分まで)
福井放送(日本テレビ系列・テレビ朝日系列。1993年10月分から1994年3月分まで)
山梨放送(日本テレビ系列。1987年12月分(1988年元日の回)と1988年12月(1989年元日の回)のみ放送)

特別番組・特例編成
大規模な国政選挙(衆議院議員総選挙・参議院議員通常選挙)が行われた場合、その開票日に行われる『選挙ステーション』の第2部(概ね開票翌日未明0:00前後から3時間程度、2009年の総選挙時は開票翌日未明 0:30 - 3:20まで)で当番組をベースにした討論会が行われる。これは当番組として正式にはカウントされていない。かつては『朝まで生選挙!』と題し、『選挙ステーション』とは別枠で放送されていた。サブタイトルは『どーする!?どーなる!?日本の政治』。2013年、2014年、2016年はスポーツ中継の編成上、行われていなかったが、2017年に5年ぶりに開票翌日の未明0:30 - 4:00に行われた。

毎年12月分(放送日付上)は、曜日に関係なく、必ず翌年元旦(当年12月31日深夜)に『朝まで生テレビ!○○(西暦年数)元旦スペシャル』と題した放送が行われる(そのため、元旦スペシャルのオープニング内で新年最初のANNニュースを内包する)。元旦の放送時間は現在では 1:00 - 5:50 となっている。なお、番組初期は12月31日の21:00 - 翌1月1日6:00まで『年越し生テレビスペシャル』として二部構成・三部構成で放送していた。1989年の放送では同年7月に当時交際者だった近藤真彦と、近藤の自宅マンションで自殺未遂を起こし当時活動休止中だった中森明菜の復帰・謝罪会見を独占生中継した。

※1999年12月(2000年元旦スペシャル相当)分は、12月31日-1月1日にミレニアム特番『24時間地球大騒ぎ!!カウントダウン2000』が編成され、1日遅れの2000年1月2日未明(1月1日深夜)に「新春スペシャル」として放送され、1996年と1997年12月はそれぞれ翌年(1997年と1998年)元日未明が別番組編成であることから1日繰り上げて12月31日未明(12月30日深夜)に放送された。
2012年3月の分は放送日・放送開始時間を通常より前倒しし、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震・福島第一原子力発電所事故)発生から丸1年となる11日(日曜日)未明(10日(土曜日)深夜)に『朝まで生テレビ!スペシャル』が放送された(1:25 - 4:50に放送)。なお、この3月の放送が、通算300回記念放送となった(3月最終金曜日の翌日土曜日となる31日の放送はなかった)。

2016年3月の分も放送日・放送開始時間を通常より前倒しし、東日本大震災発生から丸5年となった12日(土曜日)未明(11日(金曜日)深夜)に放送された。

まれに、カレンダーや特別編成のスケジュールの都合(特に、毎年7月末に全英女子オープンゴルフ、西暦奇数年の世界水泳選手権大会や西暦4の倍数の年の夏季オリンピックや、その2年後の冬季オリンピックがアジア・オセアニア以外で行われる場合、その時差の都合上)により、翌月分として、当月分の振り替え分を含めて2回分放送するケースもある。

スマホで“朝生”
テレビ朝日がサイバーエージェントと協業でローンチした、AbemaTVの開局記念としてニュース専門チャンネルAbemaNewsでスタートし、以降不定期で生配信されている討論特別番組。本家『朝生』の司会である田原と堀江が組んで、討論は朝生のセットに看板を掛け替えた朝生のスタジオで討論を行う。当該番組では本家同様Twitterのツイート募集も行うが、AbemaTVのコメント欄でも意見を募る。また、ネット配信番組での編成の自由さを生かし、直前番組の第1部『もうすぐスマホで“朝生”』と番組終了後の打ち上げの第3部『スマホで“朝生”打ち上げ』の模様も番組として配信。

その他
番組タイトルで「生」を謳って生放送を強調しており、番組中に視聴者からの意見を電話やFAXのほかに電子メールなどで募集する。田丸が司会を務めた時期は番組冒頭の意見募集告知直前に「もちろん今夜も」と述べていたが、事前収録の場合は事前に意見募集できず、番組公式サイトや番組冒頭で告知して田丸の「今夜も」発言はなかった。事前収録は放送前日の午後や夜に多く行われ、撮って出しされている。過去に4回、テレビ朝日以外のANN系列局スタジオで生放送と収録を行なっている。

多人数を動員するイベント型番組であることから現場運営の一部は学生スタッフに委ねられており、山本へるみ(政治家)、坂本忠弘(元財務省官僚)、黒田昌義(国交省官僚)、江碕智三郎(外交官)、森崎めぐみ、春野恵子、中島多圭子、高木徹、中村百合子などを輩出した。

ハイビジョン制作だがアナログ放送でも上下黒帯のレターボックス(現社屋へ移転した2003年9月分の一部以降、VTR及び元旦スペシャル時のANNニュースコーナーのVTRが4:3映像の場合は額縁放送方式)で放送される。モノラル制作(モノステレオ放送)だったが、2010年4月放送分よりステレオ制作(フルステレオ放送)となる。

1988年7月分放送の「徹底討論・原発」は後日CMを除いて再放送した。1988年9月分放送回は「昭和63年秋 オリンピックと日本人」と表向きのタイトルを付けられていたが、企画段階より討論テーマは天皇制論議が企図されていた。天皇制を論じることを隠した発想は天皇制議論はいわゆる菊タブーへの挑戦であり、昭和天皇は危篤状態であることから右翼勢力などの妨害が想定され、対策として「スネークインスネークアウト」の方針が採用された。あらかじめ出演者の舛添要一と猪瀬直樹に切り出し役を依頼し、当時開催されていたソウルオリンピックに関連したナショナリズムの話題から天皇制へ議論を転換させる筋書きであった。この回の一部は、2009年2月1日に放送されたテレビ朝日50周年記念番組で放送された。

1990年6月分放送の「激論!日米安保!!米の狙いと日本の選択」で、田原が番組冒頭にパネリストの西部邁が安保反対闘争で死亡した学生運動家の樺美智子と恋愛関係にあったような発言をしたため、西部が激怒しスタジオから出て行ってしまった。後に田原は西部に謝罪した。

2007年3月分放送の「東京・北京を繋いで大激論!」では史上初の日中同時放送を行い、日本側では副音声中国語による2か国語放送が実施されたが、北海道テレビ(札幌地区除く)と時差放送となった音声信号が常時ステレオのCS朝日ニュースターは中継回線使用料や放送設備都合など諸般の事情で実施されなかった。

番組終了時刻が早朝6時の時期は『やじうまワイド』と同様に塩田丸男が朝刊記事のトピックを紹介するコーナーがあったが、番組終了は1993年4月分より5時、現在は4時25分である。

スタジオ内へ観客として時事関心を持つ学生を複数の組織から招き入れ、田原が「あとで学生さんからも聞いてみようと思います」と2 - 3人に意見を述べる時間を与えていた。学生参加者が事前に記述したアンケートを元に発問する場合もあり、革マル派活動家がアジテーションを始めて田原と激論して物議を醸した。

メ〜テレではアニメの放送時間と重複し、月に一度アニメが休止していたが現在は土曜未明(金曜深夜)のアニメ枠は廃止されている。制作局のテレビ朝日では、2009年10月分以降当該時間に『お願い!ランキング』を放送しているが、2011年10月分から、当番組放送日には休止としている。2013年3月分をもって『お願い!ランキング』の金曜版の放送が終了。2022年4月分以降は当該時間に『東京トキメキ百貨店』・『BeauTV〜VoCE』・『バラバラ大作戦』を放送しており、同様に当番組放送日には休止。

毎年10月分は、朝日放送テレビがABCチャンピオンシップゴルフトーナメントの録画中継をローカルで放送することに配慮して、その大会が10月最終金曜の翌日土曜に重なる場合1週前倒しで放送することもある。

2011年1月分(29日)はAFCアジアカップ2011・3位決定戦を放送予定していたため、1週繰り下げ2月5日に放送した。

2010年12月分(2011年1月1日放送)の元旦スペシャルではTwitterとの連動という新しい試みが行われたが、視聴者からの投稿では番組がTwitterを使いこなせていないというものが多く、出演者の間に笑いが起こった。

2010年から2016年まで、北海道テレビが北海道ローカルで「北海道 朝まで生討論」を不定期に放送していた。

2013年7月分は本来当たる7月27日と翌週の8月3日が世界水泳バルセロナ(8月3日のみ全英リコー女子オープンと重複)の中継を放送するため、2週繰り下げて、8月10日 1:55- 4:55(9日 25:55 - 28:55)に放送。

2014年11月29日放送分では、同年12月2日公示・12月14日施行の第47回衆議院議員総選挙に関する討論を実施することになっており、荻上チキや小島慶子が一旦は出演を依頼されたが、直前にテレビ朝日側の意向で出演を取り止めることになった。荻上らはテレビ朝日から「中立・公正性の担保」を理由に断られたと主張している。

2017年4月13日には港区にて「『朝まで生テレビ!』30周年記念の集い」を開催。歴代キャスターの田丸美寿々、丸川珠代を始め、歴代4811人の論客から石破茂、平沢勝栄、山本一太、辻元清美、福島瑞穂、猪瀬直樹、西部邁、百地章、吉崎達彦、高森明勅、鈴木邦夫、雨宮処凛、田岡俊次、荻原博子、川村晃司、飯田哲也、池田信夫、岩田温、駒崎弘樹、荻上チキ、津田大介、古市憲寿、三浦瑠麗などが出席した。会場では第1回放送(1987年4月24日)の映像や、故人となった名論客の野坂昭如や大島渚の写真が映し出された。

2020年8月14、15日に掛けて戦後75年企画として、田原が厳選「日本の戦争と平和」をテーマに印象に残る放送回8回分を厳選した、「戦後75年企画 田原総一朗が厳選「朝まで生テレビ!激論!“日本の戦争と平和”」」をテレ朝チャンネル2にて編成され、27時間一挙放送された。

嘗てはパネリストの話を田原が途中で遮る事が屡々あったが、ここ数年は田原が高齢である事からその様な事は殆ど無くなり、むしろ、パネリストがプレゼンテーション的に話して田原がそれを黙って聞く事が多くなった。

番組初期は田原の背後に討論のテーマ(激論!ド~する○○)がスタジオセットとして掲げられていたが、討論内容が左右に飛び過ぎてワンテーマで議論できなくなってきたため、1993年春ごろからマルチスクリーンを設置して、討論のテーマの他にパネリストの表情やスタジオの風景を映し出すようになった。

パネリストの登場曲は1989年元旦スペシャルから流れるようになった。それ以前は音楽なしで登場したり、先にパネリストが着席していて渡辺らが紹介したりしていた。

批判された発言
2009年4月25日の放送において、田原総一朗が北朝鮮による日本人拉致被害者について、既に死亡しており外務省もそれを承知しているとの発言をおこない、拉致被害者家族会はBPO(放送倫理番組向上機構)に「重大な人権侵害である」と人権侵害の申し立てを行った。BPOは「人権侵害には当たらないが事実と異なる発言は放送倫理上問題がある」との見解を出した。
2016年1月1日放送の『激論! 安倍政治 国民の選択と覚悟』において、安倍政権の経済政策(アベノミクス)の成果をめぐってパネリストたちと観覧客の建築板金業者の男性が意見交換していた際に、男性観覧客が「我々の業界(建築板金業)だけで言うと、あまり効果的には伝わっていないという印象」と述べたことに対し、田原総一朗が「民主党政権でも安倍政権でも同じ?」と質問したところ、男性が「民主党政権の時よりはまだ良いかな」と返す場面があった。しかし、その男性は自民党に所属する大森昭彦東京都大田区議であったことが発覚し、議員としての肩書を外して出席していたことから問題となった。大森区議は「議員という立場ではなく零細企業の経営者として意見を述べた。問題はない」と説明し、「テレビ朝日のスタッフと20年以上前から知り合いで、2003年に区議になる前から今までに20回くらいは観覧し、発言もしてきた。私が区議であることをスタッフは知っていた」と明かした。テレ朝広報部は「自民党の区議会議員という情報を、プロデューサーや出演者を含め番組内で共有できず、結果的に議員でもあることを紹介できなかった」「視聴者には説明不足となり、申し訳なく思っている」と謝罪した。この件について田原は「自民党の区議にしゃべらせるならば民主党や他の野党の区議にも話す機会を与えなければ不公平だ」「番組終了後に責任者のディレクターを呼んで、かなり叱りました」と話した。
2018年1月1日の放送において、村本大輔が「(尖閣諸島を中国に侵略された時は)取られてもいいです。僕は明け渡します」「(沖縄は)もともと中国から取ったんでしょ」などと発言。他のコメンテーターや視聴者から非難が集中し、村本のTwitterは炎上した。後に沖縄を中国のものとしたことについては明と琉球王国の冊封関係を拡大解釈したものだったと反省した。
2019年11月29日深夜の放送で田原総一朗が「ベネッセが自民党の下村博文衆議院議員に二千数百万円の献金をしている」との発言をしたが、下村は自身のフェイスブックでその事実を否定。テレビ朝日もそのような事実はなかったとして、同年12月6日から7日にかけて、公式ホームページとツイッター、『スーパーJチャンネル』にて訂正・謝罪した。また、2020年1月1日の元旦スペシャルにおいて、田原本人が事前収録のVTRにて謝罪をした。

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「朝まで生テレビ!(朝生)」の出演者

「田原総一朗」について

「田原総一朗」は、日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。ドリームインキュベータ社外取締役。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)ディレクター、元映画監督。日本国際フォーラム参与、政策委員。公益財団法人日印協会顧問、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、NPO法人万年野党会長。芸能事務所のブルーミングエージェンシーと業務協力。田原節子は妻、その妹に古賀さと子。血液型はB型。

近江商人の末裔。第二次世界大戦中は、人並みな軍国少年で「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。敗戦当時、それまで習ってきた価値観が180度ひっくり返ったことに対して、「そうか、世の中に絶対なんてないんだ。偉い人の言うことは信用できない」と感じたという。

1941年、彦根市立城東国民学校(現:彦根市立城東小学校)に入学。

1943年、学区整理により彦根市立佐和山国民学校(現:彦根市立佐和山小学校)に転校。

1947年、学制改革により新設された彦根市立東中学校に入学(1950年に卒業)。

1953年、滋賀県立彦根東高等学校を卒業。作家を志して上京し日本交通公社(現:JTB)で働きながら早稲田大学第二文学部(夜学)に在籍。文学賞に何度か応募したが箸にも棒にもかからず、さらに同人誌の先輩に才能がないと二、三度「宣告」を受けたことで意気消沈していたところで、同世代の石原慎太郎・大江健三郎の作品を読み、「これはダメだ、全く敵わない」と作家を目指すことを断念。志望をジャーナリストに切り替え、3年間でほとんど通っていなかった第二文学部を辞めた。

1956年早稲田大学第一文学部史学科に再入学し、1960年に卒業。

ジャーナリスト志望だったため、NHKや朝日新聞、日本教育テレビ(現:テレビ朝日)などのマスコミを手当たり次第受けたがどれにも受からず、11社目にして初めて合格した岩波映画製作所に入社。カメラマン助手を務める。

幼少期より相撲が大好きで、非常に強かった。

東京12チャンネルディレクター時代
1964年、東京12チャンネル(現:テレビ東京)開局とともに入社。ディレクターとして、『ドキュメンタリー青春』(東京ガス1社提供の番組で、田原を含め3人が交代で演出していた)、『ドキュメンタリーナウ!』などの番組を手がける。田原がTVドキュメンタリーを撮っていた時代は、NHKの吉田直哉らの『日本の素顔』、日本テレビの牛山純一の『ノンフィクション劇場』、村木良彦、宝宮正章らのTBSのドキュメンタリー番組などが主流で、当時開局したばかりの「東京12チャンネル」は、インディーズ的存在であった。田原はそれを逆手にとって「過激な題材」を元に、「やらせ的な演出をして、その結果としておきる、スタッフ、出演者、関係者に生じる葛藤までを、全て撮影する」手法をとり、話題を呼んだ。当時、田原が親交があった清水邦夫や内田栄一に「筋書き」を書いてもらい、出演者にそのとおり「行動」してもらう場合もあった。この田原の「確信犯的」な手法は映画監督の原一男に影響を与えている。

ジャズピアニスト・山下洋輔が「ピアノを弾きながら死ねるといい」といったため、田原はバリケード封鎖されていた大隈講堂からピアノを持ち出して山下に弾かせることを考えた。中核派から分裂した組織「反戦連合」のメンバーたちが運びだし、そのピアノを山下が演奏した。後の作家、高橋三千綱や中上健次、北方謙三、山岳ベース事件で殺された山崎順もピアノを運んだという。また、このイベントは立松和平のデビュー作『今も時だ』という短編小説も産み出している。

著書『私たちの愛』によると、以下のような過激なドキュメンタリーを撮影していた。

ニュージャージーのマフィアが経営する店で「この玉突き台の上でうちの売春婦とやったら取材を受ける」と言われ、30人に囲まれて黒人娼婦相手に本番ショーを行った。
役者・高橋英二のガン治療手術から死去に至るまでの撮影では、病室である国立がんセンターに取材拒否されたため、内緒で撮影。さらに右腕の切断手術が必要になり、手術の場面を撮影。手術直後、高橋は、自分の女性マネージャーが好きなのでセックスしたいと言い出し、車に連れ込んだが、女性が抵抗して果たせなかった。そのシーンも、そのまま撮影。また、本人の望むまま、国会議事堂に散弾銃を発砲するシーンも撮影。高橋はスターになるが、死去。遺体を棺桶に入れ、霊柩車で運ばれるまで撮影した。
全共闘くずれのヒッピーたちが、全員全裸で結婚式をやることになった。余興として花嫁が列席者全員とセックスをする。スタッフも全裸で撮影していたが、花嫁がスタッフともセックスしたいと言い出したため、田原は自ら彼女とセックスし、そのシーンを撮影させた。この「日本の花嫁」は、ゴールデンタイムで放映された。レポーター役の武田美由紀(当時・原一男の同棲相手)と原一男と、二人の間に生まれた子ども(当時、生後3ヶ月)の3人が、全国各地の若者のカップルを訪ね歩く番組であった。
「『わたしたちは……』〜カルメン・マキの体験学入門」という番組で、カルメン・マキが日記(小説的日記)で、「わたしたちは三畳の部屋に住んでいた」と書いていた。だが実際は、彼女は母親と一緒に住んでいた。そのため、カルメン・マキと同じく「天井桟敷」にいた支那虎という男と、アパートを借りて同棲させた。そして、日記の記述のとおり、「二人で裸でパンを食べさせ」、日記の結末にあるとおり「二人で海に行かせた」。当時天井桟敷のスターだったカルメン・マキに変な男がついたということで、寺山修司が怒り、寺山と支那虎は口論して支那虎は退団したが、そのシーンまで撮影した。なお、支那虎は、その後、田原の作品の助監督をつとめた。
「出発(その1)〜少年院をでたMの場合」、少年院で撮影してくれる少年を探したがなかなかみつからず、ようやく見つけた少年を、スタッフの安田哲男が保証人になって退院させた。

映画監督として
1971年には、ATG映画にて、『あらかじめ失われた恋人たちよ』(桃井かおり・加納典明主演・彼らのデビュー作)の制作・監督を務める(劇作家の清水邦夫との共同監督)。

助監督だった尾中洋一(のち脚本家)によれば、劇映画初体験の田原は、「アップ撮り」「カット割り」「右目線、左目線」も分からなかった。「よーいスタート」も田原がかけられないので、尾中が担当した。そのまま、田原を無視して「2日目から実質、尾中が監督」で撮影を続けたところ、ある夜、田原が遠くに行き、闇で「ばかにするな-」と叫んだ。だが、そのまま田原を無視して撮影は続いた。「羽咋の駅前で、売春婦と出会って抗議集会」というシーン撮影では警察の撮影許可も取らず、出演しているのは大半は単なる通行人。なお、石橋蓮司や緑魔子は、「無能な監督・田原」に怒っていたという。共同監督の清水邦夫は、ほとんど現場にこず、東京の舞台で行われたリハーサルを演出しただけだった。当時のATG映画は、監督が資金を出して製作する方式であり、田原と清水はスポンサーであった。猫の死体が映るシーンは、出演者の加納典明が子猫を実際に水に漬けて殺したものであり、撮影で動物虐待が行われていた。

「のんすとっぷ24時間」
1975年、矢崎泰久らと日本ジャーナリストクラブ (JIC) を立ち上げる。その資金集めのため、新宿コマ劇場にて「のんすとっぷ24時間」という討論会(司会:中山千夏)を行い、撮影して、自分が勤務している東京12チャンネルに「番組」として売却した。このイベントが「朝まで生テレビ」の原型となったという。

テーマは「戦後30年・酷暑・おしゃべりと、うたと、けんかと」と題され、8月13日10時から14日の10時まで24時間にわたり公演された。

出演者には青地晨、赤塚不二夫、阿佐田哲也、飛鳥田一雄、生島治郎、石垣純二、一柳慧、伊丹十三、井上ひさし、宇井純、上田哲、内田裕也、宇都宮徳馬、榎美沙子、小沢昭一、小沢遼子、太田薫、太田竜、大西信行、岡本愛彦、岡本太郎、加藤武、木の実ナナ、紀平てい子、木村武雄、久野収、栗原玲児、黒澤明、黒田征太郎、児玉誉士夫、小中陽太郎、佐々木更三、佐藤允彦、佐藤信、新谷のり子、菅原文太、鈴木志郎康、鈴木武樹、鈴木均、袖井林二郎、田中真理、高橋晄生、竹中労、立花隆、龍村仁、田英夫、中村とうよう、中村敦夫、野坂昭如、ばばこういち、花柳幻舟、原田奈翁雄、深作欣二、藤本義一、真継伸彦、前田武彦、松岡洋子、松田政男、三上寛、美輪明宏、八木正生、矢崎泰久、山藤章二、若松孝二、愛川欽也、渥美清、青島幸男、五木寛之、伊藤一葉、井上清、植草甚一、加藤登紀子、加納典明、梶芽衣子、篠山紀信、土本典昭、内藤国夫、羽仁五郎、不破哲三、深沢七郎、丸山真男、美濃部亮吉らがいた。

「原子力戦争」
1976年には、原子力船むつ問題を扱った映画「原子力戦争」 をATG製作で映画化・公開した。映画は原田芳雄扮するヤクザが原子力発電所をめぐる利権争いに巻き込まれるという原作を曲げたものであった。問題作とも評され、田原は発表時脅迫されたという。著書「原子力戦争」では、底辺の人々(反対運動、賛成運動の人々、原子力潜水艦の技術者など)に取材した。だが、実際にものごとを決めているのは、「社会の上部の政治家や官僚だ」と気がつき、その後、政治家や官僚について取材していく「契機」となったという。『原子力戦争』の内容は、国会でも話題となり、大手広告会社の逆鱗にふれ、田原は東京12チャンネルを辞職したといわれる。なお現在の田原の原子力発電に対する姿勢は東日本大震災後においても「将来的には廃止が望ましい」としつつも「あと二十年は原発を維持すべきだ」と主張する等原発容認派に転向しており、自己のツイッターの中でも「日本の原子力発電所の技術は世界有数」と日本の原子力技術を賞賛する発言している。

フリージャーナリストとしての活動
1977年1月に東京12チャンネルを退社して、フリーランスとなりジャーナリストの道へ進む。東京12チャンネル時代の後輩には小倉智昭がいた。『文藝春秋』での田中角栄インタビュー(1974年に同誌に掲載された立花隆の『田中角栄・金脈と人脈』に対する反論)や『トゥナイト』の三浦インタビューなどで徐々に知名度を上げる。

政治、ビジネス、科学技術と幅広い執筆活動を続けるが、次第に政治関係に執筆活動のスタンスを移し、テレビでは1987年より「朝まで生テレビ!」、1989年4月より「サンデープロジェクト」(2010年3月終了)討論コーナーの司会・出演を務める。また、ラジオでは2007年10月から「田原総一朗 オフレコ!」(2011年3月以降は週1回放送から月1回放送の「田原総一朗 オフレコ!スペシャル」)のパーソナリティを務めている。「サンデープロジェクト」終了後は、2010年4月から始まったBS朝日の「激論!クロスファイア」に出演。青春出版社の月刊誌「BIG TOMORROW」で連載を持つ。また、1989年からテレビ朝日系の選挙特別番組「選挙ステーション」第2部(討論コーナー)で司会を務めている。

2002年4月より早稲田大学大隈塾塾頭、2003年6月よりドリームインキュベータの社外取締役を務めている。

2009年1月、「フォーラム神保町」主催禰による「田原総一朗ノンフィクション賞」の創設が発表された。また「田原総一朗のタブーに挑戦!」というポッドキャストの番組を持つ。

テレビ朝日系の番組に出演することが多いが、所属事務所は日本テレビ系のニチエンプロダクションである。

2015年12月9日には憲政記念館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく政治資金パーティーに参加している。

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「朝まで生テレビ!(朝生)」の放送内容

「朝まで生テレビ!(朝生)」日本外交と防衛力

1987年スタートの深夜討論番組。今月のテーマは「激論!〜ド〜する?!日本外交と防衛力〜」です。

ロシアの侵攻で世界が混乱する中、今週、岸田総理はウクライナを電撃訪問しました。総理は「積極的な外交の裏付けとなる防衛力が必要」とし“5年間で43兆円”の大幅な防衛予算、反撃能力保有等の防衛力強化を表明しています。現状を「新しい戦前」と評する人もいますが、戦後77年続いてきた平和を守る為、今、何が必要なのでしょうか。更に「台湾有事」を回避する為にはどうすれば良いのでしょうか?多士済々が徹底討論します!

「朝まで生テレビ!(朝生)」原発とエネルギー危機

1987年スタートの深夜討論番組。今月は「激論!〜ド〜する?!原発とエネルギー危機〜」をお送りします。

ロシアがウクライナに侵攻して1年。世界中でエネルギー不足が生じ、日本でも電力ひっ迫、電気代の高騰など暮らしを直撃している。岸田政権は安定した電力供給のため、これまでの原発依存度を低減する方針から大転換した。福島第一原発事故から12年。今も多くの問題が解決されずにいる。事故の教訓は生かされているのか?脱炭素、エネルギー安定供給、経済成長は?エネルギー小国日本の未来を与野党論客と専門家が徹底討論!

「朝まで生テレビ!(朝生)」政界ニューリーダー

1987年スタートの深夜討論番組。今月は「激論!〜政界ニューリーダー大集合 ド〜する?!日本〜」をお送りします。

2023年の通常国会。物価、賃上げ、少子化対策、激動する世界情勢への対応など難題山積だ。一方、岸田総理は、国葬、エネルギー政策など国を二分する問題を十分な国会審議をせずに決定。国会軽視ともいえる手法の是非は?さらに、去年12月には日本の防衛政策の大転換となる防衛3文書を閣議決定。この大転換で外交・安全保障はどうなる?43兆円ともされる防衛費の財源は?政界ニューリーダーが日本の平和と政治の在り方を徹底討論!

「朝まで生テレビ!(朝生)」の出演者

【司会】田原総一朗
【進行】渡辺宜嗣・下平さやか

◇パネリスト
中谷真一(経済産業兼内閣府副大臣、自民党・衆議院議員)
太栄志(立憲民主党・衆議院議員、党政務調査会長補佐)
藤田文武(日本維新の会・衆議院議員、党幹事長)
三浦信祐(公明党・参議院議員、党青年局長)
山添拓(日本共産党・参議院議員、党政策副委員長)
浅野哲(国民民主党・衆議院議員、党青年局長)
猿田佐世(シンクタンク「新外交イニシアティブ」代表、弁護士)
神保哲生(ビデオジャーナリスト、ビデオニュース・ドットコム代表)
宮家邦彦(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、内閣官房参与)
藤川みな代(テレビ朝日報道局政治部長)
 
 
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希空

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