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【動画】ミュージックステーションの見逃し配信を無料視聴!キンプリ登場

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【動画】ミュージックステーションの見逃し配信無料視聴方法!再放送はある?

テレビ朝日で放送されている人気音楽番組の「ミュージックステーション(Mステ)」King & Prince(キンプリ)登場の見逃し配信を無料視聴する方法を紹介したいと思います。動画配信といえばTVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)などが思い浮かびますが、無料動画配信はそれらのサービスが全てではありません。

今回ご紹介する「ミュージックステーション(Mステ)」の動画は現在配信されていませんが、今後配信されるとすれば、それは動画配信サービス「U-NEXT」になるのではないかと思われます。

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それでは「ミュージックステーション(Mステ)」について紹介していきたいと思います。

「ミュージックステーション(Mステ)」King & Prince(キンプリ)登場

豪華9組!キンプリ★初登場ケプラー 初めて尽くしSP!
Kep1er初登場・櫻坂は初Wセンター…初めて尽くしの豪華9組が集結!キンプリ・ノーベル・BiSH・和楽器・STU48▽TXTはスマホ連打企画に初挑戦▽次世代の新星にしなTV初出演

今夜は、初登場に初披露…初めて尽くしの豪華9組が勢揃い!▽King & Prince、Novelbrightは初めての○○を発表 ▽2日前に日本デビューを果たした注目のKep1erがMステ初出演 ▽TOMORROW X TOGETHERは曲終わりのラストポーズを決めるスマホ連打企画に初挑戦 ▽櫻坂46・BiSH・和楽器バンド…初にちなんだSPパフォーマンス ▽初登場STU48は話題のメッセージソング ▽人気アーティスト達が絶賛…次世代の歌姫 にしなTV初出演!

【歌唱曲】King & Prince「TraceTrace」/Kep1er「Wing Wing」/Novelbright「愛とか恋とか」/TOMORROW X TOGETHER「Good Boy Gone Bad」/BiSH「サヨナラサラバ」/櫻坂46「摩擦係数」/和楽器バンド「フォニイ」/STU48「花は誰のもの?」/にしな「青藍遊泳」

「ミュージックステーション(Mステ)」の出演者

◇司会
タモリ、並木万里菜(テレビ朝日アナウンサー)

◇ゲスト
King & Prince/Kep1er/Novelbright/TOMORROW X TOGETHER/BiSH/櫻坂46/和楽器バンド/STU48/にしな

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「ミュージックステーション(Mステ)」の詳細

ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました!

気になる箇所へ飛んでみてくださいませ!

・番組情報についてはこちらから

・番組出演者はこちらから

・番組内容ついてはこちらから

「ミュージックステーション(Mステ)」の概要

「ミュージックステーション(Mステ)」は、テレビ朝日(ANN系列)で1986年(昭和61年)10月24日から毎週金曜日に生放送されている音楽番組である。

2019年(令和元年)10月18日より毎週金曜日 21:00 - 21:54(JST)に放送されている。

ステレオ放送、ハイビジョン制作、連動データ放送を実施している、リアルタイム字幕放送。

通称は『Mステ』(エムステ)、『Mステーション』(エムステーション)。

過去には『MS』(エムエス)という通称名もあった。

本項目では、本番組直前に生放送されていたミニ番組『ミニステ』についても扱う。

1985年(昭和60年)10月7日に開始した『ニュースステーション』から派生し、同番組のタイトルにある『ステーション』を冠した記念すべき第1号の番組。

『ステーション』を冠した理由について番組開始当時、「新しい形式のニュース番組として定着した『ニュースステーション』にあやかって、その音楽版という意味で『ミュージックステーション』と名付けた」と説明していた。

同局制作のゴールデンタイムの音楽番組としては『ザ・ベストヒット'83』以来3年ぶりとなる。

金曜20時台で長年に亘り放送してきた『ワールドプロレスリング』に替わり、1986年(昭和61年)10月24日から新設した生放送の音楽番組で、2019年現在、放送34年目に突入した長寿番組でもある。

当番組のメイン司会を務めるタモリが現在、レギュラー番組の司会を務める番組の中では同局の深夜バラエティ番組『タモリ倶楽部』に継ぐ2番目の長さである。

放送回数は2010年で1000回を超え、同年2月5日の放送分では「ミュージックステーション1000回記念スペシャル」が放送された。

「楽曲を聴かせること」を番組のコンセプトとしている。

原則として、毎回数組のゲストアーティストが、生放送でスタジオライブを行う(年数回(冬・夏のスペシャルなど)ライブのない回もある。詳細は後述)。

また、歌手・バンドだけでなく演奏者など音楽家、俳優・女優、声優、お笑い芸人、YouTuber、プロレスラーなどもゲストアーティストとして生出演をする。

スタジオライブの合間には、司会者とゲストアーティストのトーク、様々なコーナーや企画も展開される。

2010年代以降、若年層向けJ-POP系の歌手が主に出演し、ゴールデン・プライムタイムでレギュラー放送している地上波テレビの音楽番組は、編成期によっては本番組のみという時期もある。

そのため、新人歌手・バンドの多くは、この番組の出演を目標に掲げているとされる。

当番組は2014年(平成26年)7月からテレビ朝日の会長・CEOを務める早河洋が、制作プロデューサー時代に制作に携わっていた。

現在では、本番組が早河の制作プロデューサー時代に自身が携わった番組で唯一継続しているという格好になっている。

2019年10月改編で、本番組は放送時間を1時間繰り下げ、金曜21時枠に移動した。

同年10月18日に開かれた「『テレ朝金曜3番組』合同記者会見」でメイン司会のタモリが、以前の20時からだと最近は若い人が家にいないため、と説明している。

初期(関口宏、初代メイン司会就任後)

初代メイン司会者は、当番組開始前に日曜昼に生放送を行っていた、同局の音楽番組『歌謡ドッキリ大放送』のメイン司会を務めていた関口宏が担当。

サブMCには歌手の中原理恵、洋楽担当として同じく歌手の早見優を起用した。

これは、「最近(当時)の若者向けの歌番組と違って、金曜日の夜八時らしく、若者を中心としながらも、家族そろって楽しめる一時間にしたい」というテレビ朝日側のねらいに沿ったキャスティングである。

番組開始当初は、若年層向けのアイドル歌手から、流行歌・歌謡曲の歌手、中高年向けの演歌歌手まで出演する「ファミリー向け」の音楽番組であった。

演奏は、他番組と同様に生演奏を用いて、楽曲を演奏・披露するというスタイルをとっていた。

全国各地からの中継も度々行われた。

放送開始時のキャッチコピーは「こちら音楽情報局」。

しかし、1986年10月24日の第1回目の視聴率は8.1%と苦戦し、第3回目の11月7日放送分では3.7%に下落。

12月5日放送分で10.5%と初めて二桁を記録するも、以後低視聴率が続いた。

この当時から現在まで続く名残の一つに、番組ノベルティとして出演者に配られるボックスティッシュがある。

元々は「安い値段でたくさん作れて、全ての人々が必要なもの」として企画されたもので、当時は他にも「毛玉取り機」や「爪やすり」などが存在したが、2020年現在残っているのはティッシュのみ。

出演者からは「伝説のMステティッシュ」「Mステに出てティッシュをもらうことが目標」などと評されている。

中~後期(タモリ、2代目メイン司会就任後から現在)

1987年(昭和62年)4月3日よりタモリが2代目メイン司会者として就任した。

これと前後して、光GENJI、1990年代以降は光GENJIが所属していたジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループのレギュラー出演が定着したことなどにより、明確に「若年層向け」の音楽番組へと路線を転換した。

関口からタモリに司会交代後も、1989年の放送回では二桁を記録した回が6回のみと低空飛行が続いた。

1989年に入ると、音楽自体の多様化に拍車がかかり、『ザ・ベストテン』、『歌のトップテン』が相次いで終了し、1990年に『夜のヒットスタジオ』が終わるも、ゴールデン・プライムタイムで唯一の歌番組として継続した。

その理由について、新聞記事のインタビューで当時の三倉文宏プロデューサーは、

「歌番組には、セット作りや照明など、独特のノウハウが必要。一度絶やしてしまうと次の体制づくりが大変なので、できるだけ続けようという社内的コンセンサスがあった」

と答え、同じく山本たかおプロデューサーは「10代、20代にターゲットを絞った」ことが続いた理由と語っている。

1990年代中盤には視聴率が再び20%台に乗り、他局でもゴールデン・プライムタイムで歌番組が復活するようにもなった。

金曜20時台の末期(2010年代後半)では、通常放送の平均視聴率が6~9%台とやや低調な傾向にあった。

また番組内容は、従来のスタジオでのライブ・トークに加え、VTR企画も増えていった。

2019年(令和元年)10月18日から、放送時間が21:00 - 21:54に繰り下がった。

21時開始となった最初の放送である2019年10月25日の視聴率は6.7%と苦戦しており、前週の18日の3時間SPでも10%台に留まったが、2020年1月以降は移動前と同等の6~8%台で推移している。

3時間スペシャル

毎年、春(3月・4月の時期)(2014年までは秋(9月・10月の時期)も)のテレビ番組改編時期にゲストアーティスト6 - 7組を招き、19:00 - 21:54 → 19:00 - 21:48(JST)まで『3時間スペシャル』を生放送している。

2006年4月 - 2011年3月までは次の9時枠番組がドラマ枠だったため、ドラマが放送中の場合は19:00 - 20:54までの第1弾(2時間スペシャル)・改編期などドラマの放送がない日程時に第2弾(3時間スペシャル)に分けて放送する場合があった。

基本的に春(かつては秋も)に放送されるが、2009年1月30日にはテレビ朝日開局50周年記念特番として『50時間テレビ』内で放送されており、2019年2月1日にもテレビ朝日開局60周年記念SPとして3時間スペシャルが放送された。

なお、秋スペシャルについては『ウルトラFES』が開始されたため、2014年9月26日の放送で事実上最後となった。

但し2017年に「2時間スペシャル」としてではあるが、秋スペシャルが3年ぶりに放送された。

2018年は春スペシャルが2時間だったため、3時間スペシャルは放送無しとなった。

2019年の秋スペシャルについては『ウルトラFES』が編成上の都合で放送が無かったため、金曜21時への枠移動後初回として、5年ぶりに3時間スペシャルとして放送された。

2時間スペシャル

毎年、冬の1月最初の年内放送と夏の6月最後及び7月最初の放送と秋の10月最初の放送(2017年以降)に20:00 - 21:54 → 20:00 - 21:48(JST)まで『2時間スペシャル』を生放送している(後述の夏のスーパーライブが放送されるまでは録画放送であり、観客については通常放送と同様)。

放送内容は過去放送回のトークの名場面集やシングルランキングの総集編、リクエストランキング及び番組が独自に調査・制作したランキングを司会者のトークを交えつつVTRでの進行で行う。

2009年以降は総集編は無くなり、番組が独自に調査・制作したランキングで司会者同士のトークの場面は極端に少なくなり、ほぼ全編VTR進行の構成となっている。

2017年以降は、2時間スペシャルの放送回数が非常に多い。

2019年秋のリニューアル以降は、番組が独自に調査・制作したランキングが大幅に少なくなった。

2011年・2012年は5月の初め(ゴールデンウィーク時)にも「2時間スペシャル」が放送された。

こちらは生放送で「3時間スペシャル」に近い構成となっている。

2015年から2018年までは8月の最終週に、2017年・2018年は2月にもそれぞれ「2時間スペシャル」を放送している。

以前は春の改編期および年末も「2時間スペシャル」として放送していた。

また、『スーパーライブ』開始前年の1991年末までは90分スペシャル(19:30 - 20:54、JST)として放送したこともある。

スーパーライブ

毎年、12月にその年を代表する人気や話題となった複数の豪華ゲストアーティストによる、年末特別番組『ミュージックステーションスーパーライブ』の生放送を行っている。

1992年から放送が開始され、通常のレギュラー放送で生放送がされているテレビ朝日の本社からではなく、関東近郊のホールから開催されている。

1992年以降は年内最後の年1回の恒例のスペシャルとして放送されている。

第1回から2003年までは東京ベイNKホール(2005年6月閉鎖)にて開催され、その後、2004年のさいたまスーパーアリーナを経て、2005年以降は幕張メッセイベントホールで開催されている。

本番組の派生であるが、かつて同局で放送されていた『全日本歌謡音楽祭』の後継番組に当たる。

なお、放送時間が2時間半(1992年・1993年) → 2時間(1994年) → 2時間45分(1995年) → 3時間45分(1996年 - 2002年) → 4時間5分(2003年) → 4時間10分(2004年から現在)と、傾向としては、年々長くなっている。

現在は19:00(一部地域は18:53) - 23:10(JST)。

2001年以降は、エンディングで城島茂(TOKIOのリーダー)が「城島タモリ」(タモリのものまね・格好をして登場)を披露するのが恒例である。

2019年は『ウルトラFES』と合体して12月27日に11時間を超える生放送が行われた。

ウルトラFES

毎年、9月に今人気のアーティストから過去に人気で各時代を彩ったアーティストまで錚々たる豪華ゲストアーティストによる、大型特別番組『ミュージックステーションウルトラFES』の生放送を行っている。

2015年から放送が開始され、2015年は番組放送30年目突入記念、2016年は番組放送30周年記念として行われており、2017年以降も年1回の恒例のスペシャルとして放送されている。

第1部・第2部・第3部の三部構成で放送されており、第1部はテレビ朝日本社1階アトリウムに作られた特設セット、第2部以降は通常の生放送を行っているテレビ朝日第1スタジオから放送を行っている。

なお、放送時間が10時間(2015年・2016年) → 10時間半(2017年)→ 10時間(2018年)となっている。

現在は12:00 - 21:48(2017年のみ22:18)。

2015年と2016年は、当番組が事実上秋スペシャルの代わりとなっていた。

2017年以降は2時間ではあるものの、秋スペシャルも放送されている。

2019年は『スーパーライブ』と合体した年末特番として、12月27日に11時間を超える生放送が行われた。

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「ミュージックステーション(Mステ)」の出演者

「タモリ」について

「タモリ」こと、森田 一義は、日本のお笑いタレント、司会者。福岡県福岡市南区市崎出身。田辺エージェンシー所属。ビートたけし、明石家さんまと共に、日本のお笑いビッグ3の一角を担う。

1982年から2014年まで『森田一義アワー 笑っていいとも!』で司会を務め、「同一司会者により最も多く放送された生バラエティー番組」として、また1984年から現在まで『ミュージックステーション』で司会を務めており、「同一司会者による生放送音楽番組の最長放送」としてそれぞれギネス世界記録に認定されている。

生い立ち
太平洋戦争終戦から一週間後の1945年8月22日に福岡県福岡市に生まれる。後にタモリ本人が2018年5月25日放送の「ブラタモリ」の番組内で語ったところによると、本名の「一義」は、祖父が尊敬していたという政治家・田中義一から名前をもらおうとしたところ、上下の画数の差が大きく「頭でっかちな子供になる」という理由で上下ひっくり返して「一義」にしたものだと言われる。

本人曰く、幼少時代より大人びていて、「偽善」という言葉を知っていたと語っている。幼稚園入園時期が迫り、とある園に見学に行った際に「ギンギンギラギラ夕日が沈む(童謡『夕日』葛原しげる作詞・室崎琴月作曲)」を両手を回転させてお遊戯している園児らを見て、自分には出来ないと入園を拒否したというエピソードがある。

小学校入学に至るまで、毎日、一日中坂道に立って人間観察を行っていたことから坂道好きとなり、後に「日本坂道学会」を設立している。

少年時代
小学3年生のとき、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2ヶ月休学して治療したものの、視力は戻らなかった。

小学5年生の頃、予餞会で「喜劇カラス天狗」の台本を書いて披露したが、受けなかった。しかし、後に脚本家として活躍している同級生と再会した際、「面白かった」と評された。スポーツにも興味があり、野球をやっていた。ラグビーなどのスポーツ観戦も興味があるという。

小学生の頃、当時としては珍しい考えの祖母が「今の内から男も料理ができるようにならないと、後々奥さんがいざと言うときに困るでしょ。私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、毎日祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけだという。この頃のことを「小学生時代は、学校から帰ると暇でテレビゲームもなければ、習いごともなく、人を見ているか、坂道を見たり、船を見たり、(祖母の料理支度の見学は)暇つぶしにはもってこいだった」と述懐している。そのため、金銭面にも余裕がなかった学生時代に友人らと料理を作る際には、一人で大体の料理を作ったり、出汁の取り方まで全部覚えていたと語っている。

福岡市立高宮中学校時代には、近所にあった平尾バプテスト教会に通ったという。キリスト教に興味があったわけではなく、宣教師の身振り手振りや喋りが面白いからという理由であり、この経験が後の「インチキ牧師」等に生かされている。なお、このものまねにはモデルが存在し(当教会の宣教師、R.H.カルペッパー)、当教会関係者から見ても「確かによく似ている」そうである。

部活動は、主に剣道と陸上競技を行っており、陸上部で短距離200mを走っていた。

学生時代
福岡県立筑紫丘高等学校へ入学し、剣道部と吹奏楽部を両立してトランペットを担当していた。アマチュア無線クラブにも入っていて、船の無線通信士にもあこがれた。さらに居合道場も通い、二段を取得した。ファンであった地元球団・西鉄ライオンズが身売りをしたため、野球への興味を失う。

高校を卒業後、1年間の浪人生活を送る。大学浪人中はしばしば押入れに篭り、中国や韓国からのラジオ放送を長時間聴いていたことが、「4か国語マージャン」などの「インチキ外国語芸」へとつながった。また、座禅を組んで極度の瞑想に近い経験をしたこともある。

無線に興味があったため電気通信大学を目指したが、物理が克服できず、1年間の浪人生活を経て、1965年に早稲田大学第二文学部西洋哲学専修へ入学。

早稲田大学ではモダン・ジャズ研究会に在籍し、高校時代から引き続きトランペットを担当。同期に増尾好秋、1年先輩には鈴木良雄らがいた。しかし、「マイルス・デイヴィスのラッパは泣いているが、お前のラッパは笑っている」などの批評を受け、トランペットは3日でやめてしまい、代わりにマネージャーと司会を担当することになった。この時期に付けられたニックネームが、森田をバンドマン読みとした「タモリ」である。

その後、学生バンドの司会としてTBSラジオの番組「大学対抗バンド合戦」に出演し、司会の大橋巨泉からその才能を認められている。

大学2年次5月の連休に、友人2人と旅行を計画し、学費用の仕送りを旅行用に一旦充てたが返済されず、自分の授業料の支払いが滞ることとなり、3年次に学費未納のため抹籍処分となった。

帰郷・山下洋輔との出会い
大学を抹籍処分になった後もモダン・ジャズ研究会のマネージャー役を続行し、バンドの司会などでかなりの収入を得ていた。しかし、間もなく叔父に福岡に引き戻され、朝日生命に3年近く保険外交員として勤務し、2歳年上の同僚の女性と結婚した。その後旅行会社に転職し、系列の大分県日田市のボウリング場支配人に転属となった。

1972年、渡辺貞夫の福岡でのコンサートスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間間近まで飲みながら話し込んでいた。いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、半開きになっていたドアから中を覗くと、室内ではコンサートに同行していた山下洋輔トリオ(山下洋輔、中村誠一、森山威男)が歌舞伎の踊り、狂言、虚無僧ごっこなどで乱痴気騒ぎをしていた。そこに通りがかりのタモリが乱入し、中村誠一が被っていたゴミ箱を取り上げると、それを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ?」と動揺するが、中村が機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじると、タモリがそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、中村とのインチキ外国語の応酬に発展。表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には、山下は呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。

「この男はジャズファンに違いない」と確信した山下は、福岡市内のジャズバーに「モリタという名前の男を知らないか」と片っ端から問い合わせた結果、「喫茶店の変人マスターでは?」という情報が入り、再会を果たすことになる。この時期タモリは転職して喫茶店のマスターとなっており、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。再会後は、山下トリオが九州に赴く際の遊び仲間となり、山下のエッセイ等でしばしば取り上げられるようになった。

1975年の春、山下が行きつけの新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」で、「山下がそんなに面白いと言うのなら一度見てみたい」と、タモリを上京させる機運が高まり、バーの常連(奥成達、高信太郎、長谷邦夫、山下洋輔、森山威男、坂田明、三上寛、長谷川法世、南伸坊ら)により「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、会のカンパによって、1975年6月に上京を果たす。

上京時に開かれた独演会では、「4か国語麻雀」や「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎演じる宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」など、リクエストを含めた即興芸を披露した。

赤塚不二夫との出会い
福岡で生活しつつ、カンパの資金により月1回上京し「素人芸人」として即興芸を披露するという一種の二重生活を開始した。

8月初旬、ジャックの豆の木での独演会に、面白いことをやっている人間がいるという噂を聞きつけた赤塚不二夫が訪れ、その芸に心酔した赤塚は、8月末に生放送が決定していた自らの特別番組へ出演させることを決意する。

放送までまだ日数があったため福岡に帰ることを望んだが、「芸をもっと見たい。福岡に帰したくない」と考えた赤塚の、常人ではありえない発想の懇願方法(当時、赤塚が住んでいた4LDKのマンションや、保有するベンツのスポーツタイプなど、それら全てを自由に使っていい)を了承、赤塚宅での居候生活が始まった。さらに、赤塚から月に20〜30万円の小遣いが渡され、新宿の飲み屋で赤塚や山下らと馬鹿騒ぎしながらネタを作る日々を送ることとなる。

居候の秘訣は「卑屈になるな」であると、ことあるごとに語っているものの、家主(赤塚)は仕事場に寝泊まりしており、「居候」「居候生活」と言っているが、実質は貸与である。

マンションを譲ることになった赤塚は、仕事場のロッカーを倒し、それに布団を敷いて寝場所を確保するなど、侘しい生活を送ることとなる。着る服がなくなりやむなく一時帰宅した際に、探していた服をタモリが着ていたという笑い話がある。

オフィス・ゴスミダ時代
タモリが赤塚宅で居候し、東京に居住することになったのと同時に、「ジャックの豆の木」のA子ママ(A子は匿名ではなく通称)を社長、山下洋輔を常務とするマネジメント事務所「オフィス・ゴスミダ」(「ゴスミダ」はタモリによる韓国語モノマネの1フレーズ)が設立され、所属タレントとなる。同事務所のマネジメントにより、前述の赤塚が出演させたかったバラエティ番組『マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』(1975年8月30日、NETテレビ『土曜ショー』にて放送)で、テレビ番組初出演を果たす。放送ではインチキ牧師などのパフォーマンスを次々と披露したが、たまたま番組を見ていた黒柳徹子から「今の人、誰?すごいじゃない」とその夜のうちに問い合わせがあり、次いで『13時ショー』(『徹子の部屋』の前身番組、NETテレビ)の素人芸能コーナー「珍芸スターお笑い大行進」(コーナーMCはラビット関根)に、赤塚とともに2回目のテレビ番組出演をした。京都大学の学園祭に、筒井康隆・高信太郎・山下洋輔とともに出演し、野坂昭如・日高敏隆などの文化人との出会いを果たすが、学園祭主催者と発生した金銭的なトラブルを機に「オフィス・ゴスミダ」は解散した。

赤塚のテレビ特別番組に出演させるという当初の目的を達成した赤塚らは、次の目的を「タモリを芸能界入り(芸能事務所に所属)させる」に設定し、赤塚宅での居候生活は田辺エージェンシー入りする直前まで継続され、途中には妻も呼び寄せている。

赤塚らと飲み屋で騒ぐ中で、放送作家の高平哲郎らとも知り合うなど、芸能界的な人脈も増えていく。売り出すための算段などが練られて、「戦後最大の素人芸人」というキャッチフレーズが作られたり、浅井慎平がサイレント映画の大スター・ルドルフ・バレンチノ風にスタイリングしたアイパッチ姿をトレードマークとするなど、徐々にキャラクターが作り込まれていった。

特異な芸風から所属事務所が中々決まらなかったが、高平の紹介を受けて大手芸能プロダクション・田辺エージェンシーと契約を結ぶ。大恩人ともいえる社長の田邊昭知とは、後に親友になっている。

なお、芸能界入りする際、4つの戒律を自らに掲げたという。

・誰の弟子にもならない
・組織には属さない
・頭をなるべくさげずにカネをもうける
・色紙にサインをするときは、名前の横に添えるモットーのようなものは持たない

田辺エージェンシー所属後
1976年4月、東京12チャンネルの『空飛ぶモンティ・パイソン』で、正式なメディアデビューを果たす。その後、バラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系列)にもレギュラー出演が決まるが、この時期は「タモリ専用のコーナー」で密室芸をするという形が取られていた。30歳で芸能界入りした為、ビートたけし、笑福亭鶴瓶、明石家さんまなどは年齢が下だが先輩になる。

当時の芸は、イグアナの形態模写に代表される体芸、反知性を打ち出した中洲産業大学教授、デタラメ言語「ハナモゲラ」など、他の芸人とは一線を画しており、テレビ的にはキワモノ芸人的存在と考えられていた。本人は、イグアナの形態模写と称してブリーフ一枚で芸を行う等キワモノとして扱われていた当時を「今で言えば江頭2:50が出てきた様なもので、江頭よりもっと気持ち悪がられていた」と評している。

同年10月からは、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)でパーソナリティを務めるようになり、徐々にマニアックな層からの支持を集めていく。また、この頃、山下洋輔主催の全日本冷し中華愛好会に参加した。

1977年には、赤塚不二夫、滝大作、高平哲郎らと「面白グループ」を結成。週3回以上の宴会を催し、その成果を何らかの方法で発表することを目的にした団体であり、まもなく、坂田明、内藤陳、小松政夫、団しん也、たこ八郎、三上寛、研ナオコ、柄本明、所ジョージ、アルフィー、劇団東京ヴォードヴィルショー(一部メンバー)も参加。ビートたけしも参加しようとしていたが、たけしはタモリの芸風を嫌ってすぐに脱退したという。

なお、同年10月29日、面白グループ旗揚げ公演として、渋谷公会堂で「輝け!第一回いたいけ祭り」という、タモリや赤塚の「宴会芸」を見せるイベントを行う。

1979年には、赤塚が企画した映画『下落合焼とりムービー』に出演。また、1981年には、面白グループ名義で、当時ヒットしていた女子大生2人が執筆した書籍『ANO・ANO(アノアノ)』のパロディ本、『SONO・SONO(ソノソノ)』を刊行するなどしていた。

1980年からは、芸能生活僅か5年のキャリアで、お笑いオーディション番組「お笑いスター誕生!!」に、審査員として出演し若手芸人を講評していた。同番組に出場したとんねるずに対して、タモリ、赤塚以外の審査員らにはとんねるずの芸は不評だったが、2人のみが「何か良いんじゃないか」と高評価であったと後年とんねるずは語り、それ以前から尊敬していたがさらに崇拝度合いが増したと語っている。

1980年代
1980年代に入ってからは、密室芸の披露の場を減らし、『ばらえてい テレビファソラシド』(NHK)、深夜バラエティ番組『今夜は最高!』(日本テレビ系列)などで、知性的な部分を前面に打ち出すようになり、ファン層を拡大していく。ただし、当時は下ネタ発言が多く、夜の番組の芸人というイメージが強かった。

その一方で1980年10月からニッポン放送において、夕刻のナイターオフシーズン放送として主婦向けトークバラエティー「だんとつタモリ おもしろ大放送!」が放送開始。主婦向けに夜の生活秘話などのきわどいトークで人気を集めるようになった。この番組がきっかけになり、1982年、当時フジテレビのプロデューサーだった横澤彪が、「夜の顔を昼に」とタモリを昼の帯番組に起用するという荒業に出る。『森田一義アワー 笑っていいとも!』・『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ系列)は開始当初こそ視聴率が低迷したものの、間もなく人気となり、2014年3月31日の放送終了まで31年半続く長寿番組となった。

また、深夜番組向けであるタモリ本来の芸風を崩さない目的で、所属する田辺エージェンシーが制作に加わる深夜番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)が放送開始され、30年以上続く長寿番組となっている。

『いいとも』で司会術を磨き、1983年には芸能生活たった8年のキャリアで『第34回NHK紅白歌合戦』(NHK総合テレビジョン)の総合司会を務めることになる。NHKアナウンサー以外が「紅白歌合戦」の総合司会を務めるのは史上初という異例の起用だった。また、1987年4月3日からは音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)の総合司会を関口宏から引き継ぎ、2017年には30周年を迎えた。

1990年代
1990年代以降は、趣味や知識(本人曰く「広く浅く」)を前面に打ち出すようになり、『タモリ倶楽部』の他にも、『タモリの音楽は世界だ!』(テレビ東京系列)、『タモリのボキャブラ天国』『タモリのジャポニカロゴス』(フジテレビ系列)、『ブラタモリ』(NHK)などの冠番組を持った。

2000年代
2001年11月5日、友人とゴルフ中、友人の打ったゴルフボールが頭部に当たり、左こめかみ付近を負傷し、15日まで検査入院した。期間中は生放送番組である『いいとも』と『ミュージックステーション』の両番組を欠席し、『いいとも』は各曜日レギュラーが、『ミュージックステーション』はアシスタントの武内絵美アナウンサーとKinKi Kidsら当日のゲストが曲順ごとに輪番制で総合司会代行を務めた。

2002年4月5日、『笑っていいとも!』が放送5,000回を達成。「生放送単独司会世界最高記録」としてギネスブックに登録された。

2002年4月~翌年3月、「TVガイド」創刊40周年のCMに出演。タモリがインチキ外国語を喋るCMで、中国・フランス・ドイツ語バージョンと、韓国・ロシア・イタリア語バージョンが作られた。

2002年5月、『タモリ倶楽部』内企画「プロジェクトSEX 性の挑戦者たち~シリコンの女神を創った男達」が平成13年度 第39回ギャラクシー賞奨励賞を受賞。

2002年8月、23年間マネージャーを務めた前田猛が急性くも膜下出血のため死去。田辺エージェンシー社長の田邊昭知と共に葬儀委員長を務めた。

2004年10月16日、「TOKYO1週間」での連載「TOKYO坂道美学デートNAVI入門」をまとめた書籍『TOKYO坂道美学入門』が発売された。

2006年1月3日、短編映画『やどさがし』公開。三鷹の森ジブリ美術館でのみ上映されている約12分の短編アニメーションで、タモリはすべての効果音や擬音を声で演じた。

2007年2月、鈴木良雄・伊藤潔・五野洋ら共に、ジャズレーベル「ONEレーベル」を設立。「ONE」は「一義」から取られたもの。5月16日に「ONEレーベル」から第1弾CDとして、鈴木良雄トリオの「For You」を発売。12月5日には、第2弾CDとして鈴木良雄率いるBASS TALKの『Love Letter』が発売された。

2007年6月5日、TOYOTAエコWEBマガジン「あしたのハーモニー」が創刊し、編集長を務めた。

2007年9月8日、木村拓哉から直々のオファーを受け、『HERO』に出演。

2007年11月26日、ライブ「中洲産業大学&ほぼ日刊イトイ新聞 presents 『はじめてのJAZZ2 ヒストリーもたのしみなりー!』」(昭和女子大学 人見記念講堂)が開催され、20数年ぶりに中州産業大学・タモリ教授のジャズ講座が復活した。

2008年2月24日、『ANN』40周年記念番組『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』の中で『タモリのオールナイトニッポン』を放送した。

2008年8月2日、赤塚不二夫が肺炎のため死去。7日の告別式ではタモリが生涯で初めて弔辞を読み「私もあなたの数多くの作品のひとつです」と語った。この弔辞は9月刊行の『文藝春秋』(10月号)に全文が掲載された。

マリーナメンバーの高齢化を危惧し、若い世代をヨット界に集めよう、ヨットレース「タモリカップ」を2008年から、ヤマハマリーナ沼津にて開催した。

2010年代
2010年4月9日、第2回伊丹十三賞受賞。「テレビというメディアに『タモリ』としか名づけようのないメディアを持ち込み、独自の話芸と存在感を発揮する稀な才能」と評価された。

2011年10月10日放送の『タモリ・中居の手ぶらでイイのに…!?~ドラマチック・リビングルーム~』が、第49回ギャラクシー奨励賞を受賞。

2012年7月21日から22日にかけて生放送された『FNS27時間テレビ笑っていいとも!真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』では『いいとも』放送30周年を記念し、89年の第3回目以来の総合司会を務めた。

2013年5月、『タモリ倶楽部』が第50回ギャラクシー賞テレビ部門特別賞を受賞。

2014年3月21日、『いいとも!』のコーナー「テレフォンショッキング」に、現役首相として初めて安倍晋三が出演。新聞の首相動静欄に「タモリと会食」と載せたいタモリの要望により、一緒にイチゴを食べるが、翌日、新聞各紙は「会食」に触れず、朝日新聞は「試食」と表現した。

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が最終回を迎える。1982年10月4日から続いてきた全8,054回の当番組は、『生放送バラエティー番組 単独司会最多記録』として、ギネス記録に認定された。

2014年9月、サントリー「プレミアムボス」宇宙人ジョーンズシリーズの新CMに出演。『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングを模したスタイルおよびスタジオセットで、イグアナのモノマネなどを披露した。CMのコピーは「この惑星のテレビはタモリがいないと寂しい」。

2014年10月15日、授賞理由は「独自の視点を持つ数多いテレビ番組の『顔』として、日本の笑いを革新した」ことが評価され、第62回菊池寛賞を受賞した。

2014年12月31日、『第65回NHK紅白歌合戦』に審査員として、総合司会を務めた第34回以来、31年ぶりに出演。

2016年、日本テレビ系列スペシャルドラマ『天才バカボン』の主題歌を担当。

2016年6月、一般社団法人めぐろ観光まちづくり協会の名誉会長に就任。

2016年12月19日、『SMAP×SMAP』内企画『ビストロSMAP』の最終回に、最後のゲストとして出演。実食のコーナーでは、中居の提案とタモリの発声で、タモリとSMAPの6人皆で食事を楽しんだ。勝負の判定で、タモリは「最終回だから判定はしない」「どっちも美味しかった」「人生で判定なんかどうでもいいこと」として、判定なしとした。また、勝者へのプレゼントでは、SMAPメンバー5人分を用意し、星型のオブジェにSMAP×SMAPのロゴと、メンバーの名前、タモリの名前が入った小物を贈った。 

2018年7月19日に発売された週刊新潮2018年7月26日号において、脚本家の中園ミホとの不倫密会が報道された。しかし、所属事務所の田辺エージェンシーは報道を否定した。

2018年10月1日、福岡県うきは市出身の妻の縁で、うきは市の「ふるさと大使」に就任。任期は2020年6月末まで。

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「ミュージックステーション(Mステ)」の放送内容

「Mステ」Snow Man(スノーマン)「オレンジkiss(オレンジキス)」披露

Snow Man最新ダンス▽竹内涼真&新木優子スタジオ生出演
Snow Manが最新ダンス曲▽竹内涼真&新木優子が[Alexandros]の応援にスタジオ生出演▽Mrs. GREEN APPLE、Saucy Dog▽トップ振付師12人が選ぶ国民的振付ソングBEST10大発表

今夜のMステは国民的ダンス曲スペシャル!
Snow Manが岩本主演の映画主題歌 ▽話題ドラマ「六本木クラス」から竹内涼真&新木優子が[Alexandros]の応援にスタジオ登場! ▽Mrs. GREEN APPLE、人気急上昇Saucy Dog…注目バンドの最新曲続々 ▽日本のトップ振付師12人が選んだ、嫉妬するほどスゴい国民的振付ソングランキングを発表!No.1に輝くダンス曲とは?

【歌唱曲】Snow Man「オレンジkiss」/Mrs. GREEN APPLE「ダンスホール」/[Alexandros]「Baby's Alright」/Saucy Dog「優しさに溢れた世界で」

「ミュージックステーション(Mステ)」の出演者

◇司会
タモリ、並木万里菜(テレビ朝日アナウンサー)

◇ゲスト
Snow Man/Mrs. GREEN APPLE/[Alexandros]/Saucy Dog

【特別ゲスト】竹内涼真/新木優子
 
 
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希空

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