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日本テレビで放送されている毎年恒例の生番組「24時間テレビ」2022会いたい!の見逃し配信を無料視聴する方法を紹介したいと思います。動画配信といえばTVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)などが思い浮かびますが、無料動画配信はそれらのサービスが全てではありません。
今回ご紹介する「24時間テレビ」の動画は現在配信されていませんが、今後配信されるとすれば、それは動画配信サービス「Huluフールー」になるのではないかと思われます。
それでは「24時間テレビ」について紹介していきたいと思います。
「24時間テレビ」2022会いたい!
5年ぶりマラソン復活‼兼近スタート‼
5年ぶりのマラソン兼近が今夜出走‼▽橋本環奈㊙学ラン応援団▽羽生プロ転向後初演技▽劇団ひとり監督・脚本ドラマ「無言館」▽深夜に夜もヒッパレ復活‼
5年ぶりマラソン&加山雄三ラストサライ…今年は何が起きるかわからない‼ジャにのちゃんねるが国技館を熱狂の渦に‼▽EXIT兼近が今夜出走‼スタート地点にあの男が▽橋本環奈×ろう学校×我武者羅が贈る魂のエール‼▽プロ転向後テレビ初演技‼羽生結弦心の傷に挑む…▽被災地で娘の骨を探す父…10年越しの奇跡▽劇団ひとり監督・脚本SPドラマ「無言館」浅野忠信×寺尾聰(他)▽夜もヒッパレ復活!二宮がドライフラワー熱唱
「24時間テレビ」の出演者
【メインパーソナリティー】二宮和也、中丸雄一、山田涼介、菊池風磨(ジャにのちゃんねる)
【チャリティーランナー】兼近大樹(EXIT)
【24時間テレビサポーター】徳光和夫
【総合司会】羽鳥慎一、水卜麻美(NTVアナウンサー)
【企画ゲスト】橋本環奈、羽生結弦(他)
【劇団ひとり監督・脚本SPドラマ】浅野忠信×寺尾聰(他)
【夜もヒッパレ】三宅裕司、中山秀征、DJ赤坂泰彦、豪華アーティスト(他)
「24時間テレビ」の詳細
ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました!
気になる箇所へ飛んでみてくださいませ!
「24時間テレビ」の概要
「24時間テレビ」は、1978年から毎年8月下旬の土曜から日曜にかけて日本テレビ系列および沖縄テレビ放送で生放送されている日本の長時間特別番組である。通称『24時間テレビ』、『24HTV』。
日本テレビ系列(NNN・NNS)30社に沖縄テレビ(フジテレビ系列)を加えた31社が共同で主催している。
第17回(1994年)以降の正式番組タイトルは『24時間テレビ○○ 「愛は地球を救う」』(○○には放送回が入る)。第14回(1991年)以前は『19xx スーパー・スペシャル』と言う冠タイトルも頭に付けられていたが、番組冒頭のオープニングなど、ごく一部でしか表記されていなかった。
このタイトルは、現在も青森放送が番組公式サイトで使用している。
1978年、「愛は地球を救う」をキャッチフレーズとして、日本各地でチャリティーキャンペーン活動を行う番組として誕生した。年末年始や緊急時などを除いて、通常の放送を休止し特別番組を終夜放送することは当時としては画期的な企画であった。
視聴者からの寄付を、国内外の福祉・環境保護・災害復興の支援に役立てる事を目的とした番組であり「本当の主役は(テレビの前の)あなたです」を謳い文句にしている。このキャッチフレーズは2000年代初頭までエンディングで表記されていたが、表記されなくなった後も徳光和夫が番組内で時折「テレビをご覧の皆さんが主役」とこのフレーズに言及することがある。
番組のイメージカラーは黄色。番組のシンボルマークは久里洋二が制作。赤色・黄色・緑色のグラデーションで色付けされた太陽と軌道上を周回する地球をデザインしたものである。
毎年8月下旬の土曜日夜から日曜日夜まで生放送されている(8月最終週の週末に放送されることが多い)。第1回(1978年)の放送時間は土曜日20:00 - 日曜日20:00であり、文字通り「24時間」であったが、その後は回により増減しながら24時間以上放送されるようになり、第25回(2002年)以降は原則として土曜日18:30 - 日曜日20:54と26時間半に亘って放送されている。
番組内容は毎年設定されるメインテーマに基づき、健常者のみならず、障害者や被災者、難病患者などにも着目、チャリティーマラソンやドラマスペシャル、ドキュメンタリー、チャレンジ企画などを中心に構成されている。番組内では出演者が応援ソングを歌う場面があり、使用される楽曲は毎年40曲前後にも上る。
第3回(1980年)以降、メイン会場として日本武道館が使用されているほか、日産グローバル本社ギャラリーや系列各局のイベント会場では、チャリティーオークションなどのチャリティーイベントが開催される。
徳光和夫は1978年の番組開始以来全ての回に出演している。第3回(1980年)から第33回(2010年)まで31年連続で総合司会を務めた。
歴代最多のメインパーソナリティーは、6回務めた櫻井翔(嵐)であり、嵐として第27回(2004年)、第31回(2008年)、第35回(2012年)、第36回(2013年)、第42回(2019年)に務め、第40回(2017年)には亀梨和也(KAT-TUN)と小山慶一郎(NEWS)と共にメインパーソナリティーを務めた。
24時間テレビの募金活動
全国31社の民間放送局によって、全国から寄せられた募金の管理および適切な配分・行使を行うことを目的として、「24時間テレビチャリティー委員会」を組織している。全国各地で行われるチャリティーキャンペーン活動は、加盟各社がそれぞれの放送エリアで独立して実施している。
募金は経費を一切差し引くこと無く、全額が3つの支援活動に分配されて活用される。
「福祉」(高齢者や身体障害者への支援):福祉車両の贈呈、身体障害者補助犬普及支援、障害者情報保障支援など
「環境」(地球環境保護支援):日本をきれいにするプロジェクト、全国各地での環境美化活動など
「災害復興」(災害緊急支援):日本国内・海外で発生した災害に対する緊急支援など
委員会や主催局は、社会福祉法第73条及び同施行規則14条・15条に基づき、厚生労働大臣の許可を得て募金活動・慈善活動・資金配分などを行っている。この様な法的な規制や公正な募金活動の実施のため、募金スタッフの責任者は法令に基づいた「寄附金募集従事証」を所持している。
募金はメイン会場の日本武道館、汐留・日本テレビ本社(超☆汐留パラダイス!会場内)、日産グローバル本社ギャラリー、系列各局のイベント会場、協賛企業・協力店で受け付けているほか、金融機関での振込による募金やイオンカード、クレジットカードを利用したインターネット募金も可能。
金融機関の24時間テレビ専用口座での振込募金は年間を通じて行う事が可能となっている。かつてはこの他に武道館や各ネット局にオペレーターを配置し電話による募金受付、郵便局での現金書留も行っていたがいずれも廃止されている。募金の方法は番組内及び公式サイトなどでも案内される。
大規模な災害が発生した場合には、日本テレビ系列各局が発生直後から「24時間テレビ緊急募金」を告知し、募金を呼びかけている。この際、預けられた募金は日本赤十字社を通じて全額が被災地への義援金として贈呈される。
現在は携帯電話のウェブコンテンツを利用した「24時間テレビケータイチャリティー」も実施しており、番組携帯サイトから待ち受け画像や着信ボイス、着信ムービーなどのチャリティーコンテンツを購入することで募金に参加することができる。第35回(2012年)以降はスマートフォンからも参加可能になった。
日本テレビの夏のイベント「超☆汐留パラダイス!」の収益の一部もチャリティー募金として寄付されている。
日本テレビ系列局が無い沖縄県からは、フジテレビ系列の沖縄テレビが参加しているが、FNS協定に反するという理由で一時期募金を行っていなかった。現在は募金額の一部をFNSチャリティーに納入するという条件付きで募金を行っている。
本番組の募金活動を悪用した詐欺行為が度々発生している。そのため、番組内や公式サイト、募金の告知スポットCMなどでは戸別訪問募金を一切行っていないことを強調し、詐欺行為に騙されない様に注意を呼び掛けている。
2013年12月1日、「24時間テレビチャリティー委員会」は内閣府の公益認定等委員会から公益社団法人の認定を受けた。これにより、新たに発足した「公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会」に対する寄附金には寄附金控除(企業の場合は損金参入)などの税制上の優遇措置が適用されるようになった。
24時間テレビの福祉車両
第1回(1978年)の放送から「リフト付きバス」および「訪問入浴車」(かつては「巡回お風呂カー」という名称だった)、「電動車椅子」を進呈している。第24回(2001年)の放送からは「スロープ付き自動車」の進呈を開始した。第16回(1993年)・第34回(2011年)・第35回(2012年)には車両の特別進呈を実施した。第36回(2013年)から「福祉サポート車」の進呈を行っている。
第42回(2019年)までに累計11404台の車両の進呈を行っている。第42回(2019年)は350台の車両進呈を行い、この時点でこれまでに寄贈された車両の内、3512台が稼働している。
第42回(2019年)の放送時点で「リフト付きバス」、「スロープ付き自動車」、「訪問入浴車」、「電動車椅子」、「福祉サポート車」を取り扱っている。
車両の寄贈を受けたい団体は4月までに申し込み、11月中旬までに寄贈先を決定。12月から順次納車される。
寄贈された車両について年に一回稼働状況の確認を行い、廃車時はチャリティー委員会に報告してから廃車される。第三者へ無断で売却や譲渡することは禁止。廃車後は別の福祉車両の、素材や部品に再利用される。
車体の塗装は、第1回(1978年)から第25回(2002年)までは白色ベースで屋根と車体の下半分を青色に塗り、白色部分の周りに細く赤いラインを引いたデザイン。
第26回(2003年)から第39回(2016年)まで白色ベースで車体両サイドに羽ばたく青い鳥「ハッピーバード」を描いたデザイン。
第40回(2017年)から現行のデザインになっている。車体の前後左右に番組のシンボルマークと番組名、使用者の団体名が記されている。
「24時間テレビ」の出演者
「徳光和夫」について
「徳光和夫」は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者。元日本テレビエグゼクティブアナウンサー。本名:德光 和夫(読み同じ)。
日本ドッジボール協会顧問、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問、日本司会芸能協会顧問、海原会(学校法人海城学園OB会)会長等の肩書きも持つ。
オフィス ラ・メール所属で、ソニー・ミュージックアーティスツと業務提携している。
本名の「德」は徳の旧字体で初期の日本テレビ(一部の記事を除き、以下日テレと略す)『ズームイン!!朝!』のテロップでもこの表記を使っていたが、現在は通常の「徳」を使用している。愛称は、徳さん。プロ野球・読売ジャイアンツの熱烈なファンで、「巨人親父」とも称される。公の場で感涙することが多く(特に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』)、「非常に涙もろい」キャラクターで知られる。番組開始時の挨拶ではフルネームを言わず「徳光です(でございます)。」と言っている。
東京都目黒区出身。現在は神奈川県茅ヶ崎市在住。血液型B型。1女2男があり、タレントの徳光正行は次男。ミッツ・マングローブは甥にあたる。
出生
父の徳光寿雄(德光壽雄)は映画監督として業界の活動を始め、その後日テレに開局社員として入社し、1967年には当時赤字経営に苦しんでいた東京12チャンネル(現:テレビ東京)を立て直すべく設立された「科学テレビ協力委員会」の委員として出向した人物。徳光の戸籍上の生年月日が実際の生年月日と異なるのは、厳格な父が「男児が3月3日、桃の節句の生まれでは格好が悪い」と1週間後で陸軍記念日の10日生まれにしたためである。
自身もフリー転身後、『にっぽんの歌』などテレビ東京の番組に出演し、次男の正行も『レディス4』の司会に起用され、親子3代に渡ってテレビ東京に関与することとなった。母は松屋のデパートガールだった。弟は英国伊勢丹元社長の徳光次郎。JRA競馬騎手の福永洋一とは、遠い親戚関係にある。自身が初代司会者を務めた『ズームイン!!朝!』の初日最初のニュースは、前日に起きた福永の落馬事故だった。2歳下の妹がいたが、和夫が5歳の時に病気で亡くなっている。
戦時中は福島県田村郡三春町の法蔵寺に疎開していた。
元々は落語家志望で、趣味は野球観戦と駅伝観戦と音楽鑑賞と落語鑑賞。中学時代まではプロ野球は西鉄ライオンズ、特に大下弘のファンだったが、私立海城高等学校在学中に、長嶋茂雄が東京六大学野球新記録(当時)となる本塁打を放ち、嬉しさから小躍りしながら仲間と一緒にベースを回る姿を見て感化され「人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう」と決意。長嶋がいた立教大学の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格した。合格した原因は「ヤマを張って集中的に勉強した日本書紀が、試験に丸々出題されていたから」ということを話している。そしてその後、大学卒業後長嶋が入団した巨人のファンとなる。大学では、最初は「長嶋さんが居た神宮球場で過ごしたい」からという理由で応援団に入るが、ほとんどグラウンドに背を向けての活動だったため、試合を見られないことに不満を感じていたところ、放送研究会の部員がスタンドの最前列でテープレコーダーを持って取材などをしているのを見て、楽しそうと思い、放送研究会に転じる。大学の同期に青尾幸、加賀美幸子、村田幸子、土居まさる、後輩に関口宏、古舘伊知郎、久保田光彦、放送研究会の後輩にみのもんたがいる。大学4年の時、就職に悩んでいた時期に土居に相談をし、「お前、アナウンサーになればいいじゃないか」とアドバイスを受けアナウンサーになることを決意する。
日本テレビ入社後
大学卒業後の1963年に、日本テレビへ入社。同期入社に青尾幸、今村倫子がおり、中途入社してきた同期に小林完吾がいる。著書「企業内自由人のすすめ」によれば、日テレを受験した際、最終選考に残った2人が学生運動に関与していたことが判明し、選考を辞退した影響で徳光が採用された。
主にアナウンサーとしてプロレス中継を中心に受け持ち、ドラマ『青春とはなんだ』にラグビー中継のアナウンサー役で出演したり、アニメ『ルパン三世』第73話「花も嵐も泥棒レース」にて、自動車レースを中継するアナウンサー役(本人の役)で声優として出演したこともあった。また、1969年10月から『NTV紅白歌のベストテン』の総合司会を務め、人気を得る。1974年10月から『新・底ぬけ脱線ゲーム』の司会を務める。この頃の徳光は日テレ社内でもかなり特殊な存在で、「アナウンス部には週1度しか顔を出さない」「アナウンス部のシフトに入らず、自分でシフトを決めて勝手にやっている」という勤務形態であり、当時は「徳光にはニュース読ますな」が社内の定説だった。
1979年3月から放送を開始した『ズームイン!!朝!』では総合司会を9年間担当。1988年4月からは『NNNニュースプラス1』のメインキャスターを務めた。自身に『プラス1』キャスターとしての白羽の矢が立ったのは「『ニュースステーション』のおかげで、ニュースそのものが難解な言葉を多用するものから、分かりやすいものに変わっていったことに影響されたのではないだろうか」と話し、「『プラス1』の3年間は世界的にも激動の3年間で、人にものを伝える難しさというものを学んだ」とも話している。
フリー転身後
1989年に日テレを退社し、フリーとなる。『ズームイン』から『プラス1』に担当番組が代わった頃から「俺はバラエティ番組・情報番組に慣れていたからニュースキャスターは合わない」と思うようになり、管理職昇進(アナウンス部副部長)の話が挙がることに対し、徳光は数字の管理が苦手で「役職が付けば、今まで全くやったことが無い事務的な仕事もしなければいけなくなるだろうし、自分の管理も満足にできない人が、上に立って他人の管理をすることは出来ない。俺は事務職ではなく、現場で生きていきたい」と思ったことなどがフリー転身のきっかけとなった。
1990年以降は『クイズダービー』(TBS)、『徳光のTVコロンブス』(テレビ東京)を皮切りに各局で多くの番組を担当し、さらに結婚式の司会等でも活動する。
2010年からは、初のラジオの生放送レギュラー番組となる『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』(ニッポン放送)が放送開始。当初は約6時間という長丁場を担当し、その後放送時間は2時間40分に縮小されたが、現在も出演中である。
2011年の『24時間テレビ34』では総合司会を勇退し(後任は羽鳥慎一)、当時70歳にして番組史上最高年齢となるチャリティーマラソンのランナーを務めた。2012年以降は、スペシャルサポーターとして引き続き番組に携わっている。
2016年11月24日には日本レコードマネジメントの40周年記念式典の司会を務めた。
エピソード
愛車は日産・シーマ(F50型)だが、本人は運転免許を持っていない。自動車教習所には通っていたが、指導員と口論をして運転免許取得を辞退した。
大の箱根駅伝好きで、毎年沿道で応援をしている。大会前に独自に入手した選手のデータを手に実況を行うほどの熱の入れようで、今では復路8区の茅ヶ崎の名物になっている。この模様は自身が司会を務める『ザ・サンデー』の新年1回目の放送で毎年必ず放送されていた。なお、本人は「あくまでプライベートで応援しているものであり、撮影クルーは勝手に収録している」と語っている。
『24時間テレビ』に毎年顔的存在として出演しており、1978年の第1回から皆勤している唯一の人物である。ただし、1990年から1994年にかけては同時間帯に他局で生放送のレギュラー番組があり(『徳光のTVコロンブス』)、その時間帯は抜けていた。
紳助とは彼が『ズームイン!!朝!』にゲスト出演した際に初共演を果たした。当初、徳光は紳助に良い印象を持たなかったが、後に紳助司会の日テレ『嗚呼!バラ色の珍生!!』にパネラーとして出演したのをきっかけに、紳助と親交を深めるようになった。紳助の引退後、「政治だろうとスポーツだろうと…全てを笑いの糸で結びつけてしまう才人。話術は絶対かなわない、というふうに思った。引退っていうのは本当に残念でならない」と惜しんだ。
「自身が結婚式で司会を務めた著名人夫婦は、何故か7割が後に離婚するジンクスがある」と噂された。しかし2010年12月27日放送のテレビ朝日『中居正広の怪しい本の集まる図書館』でのインタビューにて、司会を務めた夫婦のうち実際に離婚したその離婚率のパーセンテージは番組中で「23%」(日本における平均は30%)と計算された。
65歳になった2007年、年金の申請を行ったところ、社会保険庁の記録で「死亡扱い」を受けていたことが判明した。
羽鳥慎一は日本テレビアナウンサー時代晩年期、フリー転身を考え悩んでいた際、彼に相談を持ちかけた(宮根誠司にも相談をしている)。そして羽鳥に対し、「(フリーに転身するならば)今までと同じ自然体でやったらいい」とアドバイスをした。
若手時代からプロレス中継を担当していた時期が長く、プロレス関係者との交友も深い。特にジャイアント馬場との友誼関係は深かった。上田馬之助とは上田の若手時代から親しかったこともあって、上田のことを「馬さん」とその生前には呼んでいた。また日本プロレス時代から実況経験があることからアントニオ猪木とも接点があり、猪木のことを若手時代の愛称である「寛ちゃん」と呼ぶ。スポーツ中継などで、「全国一千万人の○○ファンの皆様、こんばんは」の名文句があるが、これを言ったのは自身による「全国一千万人のプロレスファンの皆様こんばんは」が元祖だった(こういった台詞を最初に披露したのは、徳光の日テレの先輩アナに当たる清水一郎だったとも言われている)。
好きな食べ物はメロンパン、おはぎ。
美空ひばり、矢沢永吉のファンである。アナウンサーになった理由は、巨人戦の実況がしたい他に、ひばりの曲紹介がしたかったからと言う程である。
痔にかなり悩まされていた。息子の正行も「痔が自分たち息子にも遺伝した」と述べている。
日テレのニュースを降ろされた理由は「国家予算は、5兆円」と言うはずが、「国家予算は、5円」と言ってしまい、「常識が無さすぎる」というものである。
巨人ファンとして
熱狂的な長嶋茂雄ファンかつ巨人ファンであり、芸能人野球ファンのはしりである。この「巨人ファン徳光」のキャラクターは、『ズームイン!!朝!』の人気コーナー「プロ野球イレコミ情報」で定着したものであるが、これにより自身の巨人にかかわる言動が取り上げられる機会も少なくない。一方で相手球団に対する問題発言が多く(特にパ・リーグに対して)、他球団ファンからしばしば反感を買っている。
王貞治の現役時代最後の本塁打となった868号のバットを所有しており、テレビ東京『開運!なんでも鑑定団』に出品したことがある。
1980年に、長嶋が巨人監督を解任された翌日(10月22日)の『ズームイン』では、巨人球団や川上哲治への抗議を行い、讀賣新聞や報知新聞の購読を「辞めます」と発言。この抗議は放送開始から26分に亘って行われた。この放送を見ていた長嶋から「もし、徳光さんがどんなことに巻き込まれても私が面倒を見る」と発言し、以来、長嶋との交友が始まっている。
1982年に『ズームイン!!朝!』で「巨人が優勝できなかったら丸坊主になる」と発言したが、中日が優勝したため、名古屋の中京テレビでコーナーを担当していたきくち教児と板東英二によって、バリカンで丸坊主にさせられた。
1986年に広島の優勝が決定した際、「巨人の優勝は日本シリーズの第1戦が始まるまであきらめない。だって広島の選手が乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?」とヒートアップしたところ、発言の1ヶ月後から大規模な飛行機事故が数年に渡り多発。短慮な発言として問題となったことがある。
長嶋と王の監督ON対決に湧いた2000年の日本シリーズ直前、ダイエーの藤井将雄投手が夭折しているが、「徳光が藤井の死によるダイエーの戦力減少を喜んだ」などと発言した内容が長期に渡り掲載されていたことがある。
2007年刊行『巨人軍5000勝の記憶』では、巨人在籍経験者以外で唯一「メッセージ」が掲載されている。
日テレアナウンサー時代
『キユーピー3分クッキング』に出演していた際、調理している人の横で腕を組むシーンに対し視聴者から抗議の手紙が多数寄せられたことや、料理の初心者故に「味噌汁は味噌に水を入れて作るんですね」などと的外れな発言を行なったことから上司から「料理番組の司会に向いていない」と言われ、僅か3ヶ月で降板した。
1980年にスタートした『NNSアナウンス大賞』の第1回最優秀賞受賞者である。
1983年2月から1985年6月まで、日テレのキャッチフレーズ「おもしろまじめに4チャンネル」のイメージキャラクターを、小林完吾とともに務めた(自身が「おもしろ」、小林が「まじめ」として)。このコンビで局の垣根を超えて『笑っていいとも』の「テレフォンショッキング」に出演しており(1983年4月5日)、ドラマでも『太陽にほえろ!』の550話「俺はプロだ!」にて出演している(1983年4月1日)。
日テレ時代の同僚である福留功男とは50年以上の親友関係にあるが、『アメリカ横断ウルトラクイズ』での役回りから一時期テレビで「犬猿の仲」を演じていたことがあった。しかし、徳光は「トメはアナデューサーだ」と福留の放送人としての才能を評価している。
ギャンブル
大のギャンブル好きである。特にボートレースが大好きであり、選手の心理状況や家族構成まで調べるくらいに熱中している。日テレ時代に『ズームイン!!朝!』を担当していた時は、番組が終わるとほぼ毎日のように平和島競艇場に直行していたと言われている。「競馬は遊び、競艇は勝負」が口癖でもあるという。
競馬では大穴狙いが多く、負けて当然と言った馬券の買い方をよくする。ウインズ後楽園によく出没する。1997年2月17日には、船橋競馬場で当時の南関東公営競馬史上最高配当記録となる馬複(馬連)20万馬券を的中し、約800万円の払い戻しを受け、大々的に報じられた(この時はウインズ新橋の場外発売で馬券を購入)。その際、徳光の馬券予想コーナーを掲載していたスポーツ報知では「徳さん万馬券的中」と1面で報じたが、別のスポーツ新聞は徳光であることに気がつかず、「初老の男性が換金に来た」と報じた。
ウインズ後楽園で高額払い戻しを受けた際、一般人に発見され騒ぎになり払い戻し額含めて新聞に掲載された。その際、家族には勝った金額を過小報告していたが、翌日の新聞の報道で奥さんにバレた。
競輪では自宅のある茅ヶ崎に程近い平塚競輪場を訪れる。2007年の日本選手権競輪など、当地でのテレビ中継のゲストに呼ばれたこともある。
公営競技以外にも麻雀も打つ(過去にはストレス解消法として、深夜まで及ぶことがあった)。
2009年4月に映画『グラン・トリノ』の特別試写会に招かれた際には、自らの理想の死に方として「『これを孫娘に渡してくれ…!』と言って万馬券を持って死ぬ、とかですね、あまりにも高価な万馬券故にショック死をしてしまうとか」と語っている。
入院生活
2001年6月に、急性心筋梗塞を患い緊急入院したが、同月末に現場復帰。息子・正行の著書によれば、年齢不相応の不摂生が原因であるという。「健康に気を遣うということが、既に不健康である」というのが自身のモットーであったが、後にこの認識は改めざるを得なかったと後に語っている。
この経験により、2008年からはアステラス製薬が展開する、コレステロール適正管理キャンペーンに起用され、CMなどで日常での健康管理の重要性を呼びかけた。
なお、2001年の『24時間テレビ24』の総合司会は、最初と最後を除き、みのもんたが代行をした。
親族
『遠くへ行きたい』の第2100回記念「僕のご先祖様は屯田兵」(2012年4月放送)では旅人として北海道を訪ね、その際には滝川市で長年の念願だった墓参を果たしている。しかし、NHKの『ファミリーヒストリー』(2013年1月21日放送)で、先祖は元々江差でニシン漁をし、その後現在のえりも町に移住した漁師であることが判明した。その『ファミリーヒストリー』によると、騎手・福永祐一の高祖父、元競馬関係者の福永甲、福永二三雄、福永洋一ら兄弟の曽祖父の妹と、徳光の祖父の兄が結婚しており、遠い姻戚関係にある。また、ジャーナリスト・服部誠一は母方の曽祖父である。福永祐一の妻は元フジテレビアナウンサーの松尾翠(現・ホリプロ所属)で、結婚により徳光とは遠縁の親戚となった。
甥のミッツ・マングローブとは、サントリー「BOSS」のCMで親子役で共演しており、劇中で和夫に平手打ちされるシーンについてミッツは「本当の親にも殴られたことないのに、まさか伯父に殴られるとはね。40歳にもなって」と心境を明かしていた。
「羽鳥慎一」について
「羽鳥慎一」は、日本のフリーアナウンサー、総合司会者、元日本テレビのエグゼクティブアナウンサー。テイクオフ所属。
教育、学生時代の活動など
埼玉県上尾市出身。小学生の時、埼玉県から神奈川県横浜市に転居。
横浜市立権太坂小学校、横浜市立境木中学校、神奈川県立横浜平沼高等学校卒業後一浪し、早稲田大学政治経済学部経済学科に進学。同大学同学部を卒業。
就職活動でアナウンサーを志望した動機は野球の実況をしたかったためで、第一志望の放送局が日本テレビだった。
職務経歴
1994年4月に日本テレビに入社。
プロ野球中継の実況等を経て『ズームイン!!サタデー』(以下『ズムサタ』)、『ズームイン!!SUPER』(以下『ズームイン!!』)の総合司会、NNN24の朝のニュース枠『モーニングライブ』のキャスター(平日担当)、『ものまねバトル』の総合司会などを担当し、2009年に第30回NNSアナウンス大賞テレビ部門大賞受賞。
2009年12月31日放送の『第60回NHK紅白歌合戦』(NHK)に、FUNKY MONKEY BABYSの応援で、ズームインのキャラクターであるズーミンを連れてゲスト出演。
2011年3月31日を以って日本テレビを退社し、フリーアナウンサーに転身。フリー転身表明直後に『情報満載ライブショー モーニングバード』の総合司会に就任。
フリー転身後は『情報満載ライブショー モーニングバード!』→『モーニングバード』→『モーニングショー』、『未来シアター』の総合司会などを務めている。局アナ時代から担当していた『人生が変わる1分間の深イイ話』、『ぐるぐるナインティナイン』にもフリーの立場で出演継続している。これ以外にも『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』など日本テレビの特別番組に多く起用されており、2011年10月からは『1番ソングSHOW』にも起用された。
2013年6月20日、前年を以って司会を退いた小倉智昭の後任として、『サントリー1万人の第九 "10000 Freude"』の新司会者に就任することが発表された。
愛称
愛称が「バード」となった経緯は、ズムサタのスポーツコーナー担当として就任間もないころにニックネームを募集したものの応募が少なかったことから初代総合司会であり先輩でもある福澤朗に「バードでいいんじゃない?」と名付けられ、それが定着したものである。以降、『ぐるぐるナインティナイン』のナインティナインなど、共演者からも愛称「バード」で呼ばれるようになり、フリー直後に担当した『モーニングバード』では「バード」が番組タイトルにくみこまれた。
アナウンサー人気ランキング結果
an・an調査による2006年度「好きな男性アナウンサーランキング」では1位。オリコン調査による「好きな男性アナウンサーランキング」では長年TBSの安住紳一郎に次いで2位だったが、オリコンが安住を「殿堂入り」させてランキング外とした2010年には初の1位となった。
学生時代の部活動
中学(横浜市立境木中学校)・高校時代は、野球部に所属。中学はセカンド、高校ではアンダースローの投手、2年まではオーバースローだった。横浜平沼高校の野球部時代に、後に2年連続でセ・リーグ首位打者を獲得する鈴木尚典(当時横浜高校)と対戦し、2打席連続三振を奪ったことがある。ただし、その後の3打席で3安打を打たれた。エースとして夏の神奈川大会4回戦まで進出した実績がある。
趣味、嗜好、ファン歴など
酒豪であり、早めに帰宅した際は昼間から飲むこともある。しかし、それが祟(たた)って、2010年に痛風になったことがある。
酒豪である反面、タバコ嫌いでもある。しかし、声については数年に一度、全く出なくなる時がある。
嫌いな食べ物はトマト。
カラオケの十八番はTUBE「あー夏休み」。その他にも嵐やKinKi Kidsもよく歌う。羽鳥自身、嵐ファンでもある。
吉川晃司の大ファンで、コンサートにはほぼ100%足を運びトークショーにも行く。
FUNKY MONKEY BABYS(2013年解散)の「ヒーロー」のジャケット写真とミュージックビデオに起用されて以来彼らの大ファンになり、ライブコンサートにはほぼ毎回参加していた。
社の垣根を越えて同期入社アナウンサー同士で交流するグループのメンバーとして、フジテレビのアナウンサーの木佐彩子のファンになり、好きだった時期がある。ファンのあまり、日テレの社員食堂のカードを買う暗証番号は最後まで「0526」(木佐の誕生日にかけたもの)にしていたという。なお、木佐本人にも暗証番号の件は伝えたが、本人は苦笑いだったとのこと。
私服に関しては、長袖がファッションポイントと話したことがある。
交友、人間関係
日テレの同期である藤井貴彦に対し、「自分がフリーになる時は1番最初に藤井に伝える」と述べていたが、結果的にこの約束は破ることとなり、藤井はこのことに傷ついていると話している。
フリー転身後に応じた週刊誌(2011年発売)のインタビューにおいて、日本テレビ『ZIP!』(自身が2代目男性総合司会を務めた『ズームイン!!SUPER』の後継番組)をよく視聴していることや後輩で同番組総合司会である桝太一にアドバイスをしていることを明かした。
家族、私生活など
1996年、元キャビン・アテンダントの一般人女性と結婚、1年後に長女が誕生。(結婚から16年後の)2012年5月2日に離婚。フリー転身により羽鳥が多忙になったことによって家族と過ごす時間が減り、妻のほうもアロマセラピーインストラクターとしての仕事が軌道に乗りはじめたことで、二人とも互いの仕事を優先することとなり、2012年1月に羽鳥が「離婚したほうがいいのかな」と切り出し、夫人も応じた、と言い、離婚協議を経て、3月に離婚が決定。「お互いに仕事は順調なので、距離をとって次の道に進んだほうがいいかなと離婚を決めた」と羽鳥は説明し円満離婚を強調。当時中三の娘は「パパに会えなくなるわけじゃないし」と離婚に反対はしなかった、とされ、娘の親権は女性側が持った。
2012年8月にテイクオフ社長主催の会食で知り合い同年11月頃より渡辺千穂と交際、2013年4月23日放送の『モーニングバード!』の冒頭で交際を公表、約2年の交際期間を経て2014年8月18日に渡辺と結婚。2016年1月末に女児が誕生。(渡辺は2016年下期のNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』の脚本を担当したのだが、NHK総合テレビの『べっぴんさん』本放送の裏番組に『モーニングショー』があり、デイリースポーツと毎日新聞は「夫婦対決」と(おもしろおかしく)取り上げた。)
2013年9月、埼玉で一人暮らしをしていた父親(実父)が死去。2014年4月に『徹子の部屋』に出演した折に羽鳥は、黒柳徹子からこの話を切り出されたがこの話は仕事場など周囲の人々にもあまり話していないことを明かし、近くに住んでいた姉がたまたま数日連絡を取らなかった間に死亡したため、孤独死になったと述べ、「月に2、3回は(一緒に)食事していた。そういう機会を増やしていたので、もっと生きてくれればもっと色々とやれることがあった」と悔やみ、「孤独死する人がこんなに身近に出てくるとは思わなかった。それに父親は73年生きてきて、誰にも看取られず、なんで亡くなったのか原因もわからず、こんな風に人生を終えてしまうなんて…」と無念さをにじませた。
身体データ
身長182 cm。
他
2016年7月時点では、テレビ東京系列の番組の出演歴がない。
「24時間テレビ」の放送内容
「24時間テレビ」27日放送内容
午後6時30分 番組スタート
午後6時台 「胸から下がマヒした女性の人生かけた願い おなかの我が子に会いたい!その瞬間のドキュメント」(山田涼介)
午後7時台 「橋本環奈と耳の不自由な子どもだち 心ひとつに挑む応援団パフォーマンス」
「笑顔で走りきれるか!? EXIT 兼近 24時間マラソン」スタート
午後8時台 「もう一度あの声に会いたい…河村亮 実況に捧げたアナウンス人生」
「羽生結弦に会いたい!プロ転向後テレビ初演技 被災地へ…17歳の少女へ…思いを込めたSPショー」
午後9時台 SPドラマ『無言館』(監督・脚本・劇団ひとり/主演・浅野忠信)
午後11時台 「24時間もヒッパレ!あの名曲に会いたい!」
深夜1時台 「ジャにのちゃんねるは眠らない!深夜の日テレ系 伝説の映像大賞」
「24時間テレビ」28日放送内容
午前5時台 「日テレキャスター大集合!24時間テレビ的ニュースショー」
午前7時台 「30年前の忘れられない記憶 藤井貴彦の原点 キング・カズとの出会い」
午前8時台「あなたの会いたい人~東日本大震災で少女が警察官と誓った約束~」(菊池風磨)
「相葉雅紀、会って自分の目で確かめたい~保護犬トリミングの その先~」
午前9時台 「人気子役・輝星ちゃん!亡き父との約束 トライアスロン51kmに挑戦!」
「すぎやまこういち物語 ドラゴンクエスト『序曲』知られざる誕生秘話」
午前10時台 奇跡の瞬間を見逃すな!ジャにのスゴ技生チャレンジ(『ニノさん』vs『スクール革命!』)
午前11時台 本田望結&真凜「日本列島ダーツの旅的全国1億人インタビュー」
午後0時台 『ヒルナンデス!』メンバー「日本に元気を!戦後70年を彩る ダンス&ファッションSPショー」
午後1時台 中丸雄一&菊池風磨「日本列島ダーツの旅的全国1億人インタビュー」
「会いたい!応援歌メドレー」
午後2時台 「燃える闘魂!アントニオ猪木はなぜ闘病生活を見せるのか」
「国技館で会いましょう」
午後3時台 「最後のサライ~ミュージシャン加山雄三の決断~」
午後4時台 「奇跡の瞬間を見逃すな!ジャにのスゴ技生チャレンジ」
「MISIAが31年ぶりの再会!故郷の島で歌を教えてくれた恩師」
「亡き母から二十歳の私へ…時を越えて届いた奇跡の贈り物」(山田涼介)
午後5時台 ジャにの×笑点メンバー「チャリティー笑点」
午後6時台 「YOSHIKIとウクライナから来たバレリーナ 日本への感謝、そして決意のダンスショー」
午後7時台 「手足が動かなくなる病気…それでも笑顔で!少女の夢を叶えるパラデル漫画プロジェクト」(中丸雄一)
「車いすの少年とジャにのちゃんねる 心をひとつに!集団フォーメーションダンス」
午後8時台 エンディング 加山雄三ラスト「サライ」&兼近大樹はゴールなるか…
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