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【動画】ザワつくバス旅×じゅん散歩×帰れマンデーの見逃し配信無料視聴方法!再放送は?

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【動画】ザワつく金曜日の見逃し配信無料視聴方法!再放送は?

テレビ朝日で放送されているバラエティ番組「ザワつくバス旅×じゅん散歩×帰れマンデーテレ朝人気旅全部集まっちゃいましたSP」の見逃し配信を無料視聴する方法を紹介したいと思います。動画配信といえばTVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)などが思い浮かびますが、無料動画配信はそれらのサービスが全てではありません。

今回ご紹介する「ザワつく!金曜日」の動画配信サービスTELASAで配信されていますが、今後動画配信サービス「U-NEXT」でも配信されるかもしれません。

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それでは「ザワつく!金曜日」について紹介していきたいと思います。

「ザワつくバス旅×じゅん散歩×帰れマンデーテレ朝人気旅全部集まっちゃいましたSP」

ザワつくバス旅×じゅん散歩×帰れマンデーテレ朝人気旅全部集まっちゃいましたSP
『ザワつく!路線バスで寄り道の旅』に自由気ままな『じゅん散歩』が合流!『帰れマンデー見っけ隊!!』では爆笑ハプニングだらけの旅を繰り広げる!

テレビ朝日の人気バラエティー8番組が夢のコラボレーションを実現!第3夜目は、『ザワつく!路線バスで寄り道の旅』『じゅん散歩』『帰れマンデー見っけ隊!!』という人気旅番組がコラボする、『テレ朝人気旅全部集まっちゃいましたスペシャル』をお届け!自由奔放な旅から過酷な旅まで、全く異なる旅番組が入り乱れた結果、行く先々でとんでもないお祭り騒ぎを繰り広げることに…!

いつもは『ザワつく!路線バスで寄り道の旅』で自由奔放に振る舞う長嶋一茂とその手綱を引く高橋茂雄(サバンナ)の2人。日本橋、銀座を巡る旅では冒頭から『じゅん散歩』高田純次がボケ倒し、適当なトークをさく裂!
『帰れマンデー見っけ隊!!』からはいつもは過酷な旅を繰り広げているタカアンドトシ、サンド伊達が登場!自由奔放な一茂に振り回され…行く先々で大騒ぎ!

「ザワつくバス旅×じゅん散歩×帰れマンデーテレ朝人気旅全部集まっちゃいましたSP」の出演者

『ザワつく!路線バスで寄り道の旅』
長嶋一茂
高橋茂雄(サバンナ)

『じゅん散歩』
高田純次

藤田ニコル

『帰れマンデー見っけ隊!!』
タカアンドトシ
伊達みきお(サンドウィッチマン)

槙原寛己
福田麻貴(3時のヒロイン)

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「ザワつく!金曜日」の詳細

ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました!

気になる箇所へ飛んでみてくださいませ!

・番組情報についてはこちらから

・番組出演者はこちらから

・番組内容ついてはこちらから

「ザワつく!金曜日」の概要

「ザワつく!金曜日」は、テレビ朝日系列で2018年10月11日(10日深夜)から放送されているトークバラエティ番組である。

言いたいことに関して、遠慮せずに口にするといったトークバラエティ番組である。世界各国の衝撃映像や変わった特徴を持つ飲食店、社会問題や話題の出来事といったVTRが流れ、『皆様は、○○についてどう思いますか?』といったナレーションのフリからトークに入るのが基本構成となっている。

不定期にマジシャンやパフォーマー、俳優や若手芸人といったゲストを招いてトークをすることもあり、若手芸人についてはスタジオ出演後、別の回でVTRリポーターとして再登場することもある。2021年以降は番組冒頭に様々な工場の製造工程を見せ、そこから何を作っているかを3名に当てさせるクイズパートが編成されている。

2019年からは毎年大晦日に、本番組の拡大版である「ザワつく!大晦日」が放送されている。2020年版は年越し番組として放送されたが、番組は全編収録でカウントダウンは番組冒頭で予め作成した場面を画面右上へワイプする程度に止められている。また、途中ドキュメンタリー『マグロに賭けた男たち』が約90分にわたり内包された。

本番組のトークがきっかけで様々なコラボレーション製品が発売されている。

2018年5月26日から、『ザワつく!一茂良純時々ちさ子の会』という名称で不定期での放送が開始され、好評だったことから同年10月11日(10月10日深夜)からレギュラー放送が開始された。

2019年春から『金曜★ロンドンハーツ』が火曜ネオバラエティに枠移動することに伴い、当番組が『ザワつく!金曜日』に改題し、『世界の街道をゆく』(テレビ朝日以外の同系列フルネット局では各局別に別番組に差し替え)を金曜のみ3分早終了に変更した上で、同年4月12日から金曜 20:57 - 21:54に移動・拡大することとなった。それに先立ち、同年2月15日・22日・3月8日には4月12日以降と同じ放送枠でトライアル特番が3回放送されている。なお、テレビ朝日系列の金曜21時枠がフライングスタート編成となるのは、『世界痛快伝説!!運命のダダダダーン!』(朝日放送〈当時〉制作)以来、約18年ぶりとなった。

2019年10月改編で本番組は放送時間を2時間繰り上げ、長きにわたって編成してきたアニメ枠(ドラえもん・クレヨンしんちゃん)が土曜夕方に移動し、本番組が金曜19時枠に移動した[6]。テレビ朝日の金曜19時枠での1時間バラエティ枠はこれまで『全国ちびっこ特ダネ合戦』、『ジャニーズバーサス!Youたちクイズしちゃいなよ!!』などといった単発特番は数回放送されたものの、レギュラー番組としてはテレビ朝日開局以来初めてとなる。

なお、直前番組『スーパーJチャンネル』との接続はアニメ時代はクロスプログラム・ステブレ入りだったが、当番組からはステブレレスに変更、これで『Jチャン』と平日19時台番組の接続はすべてステブレレスとなった。また、直後番組『マツコ&有吉 かりそめ天国』(水曜ネオバラエティから移動)との接続はステブレレスに変更された。その代わりに番組終盤の6分間がローカルセールス枠に転換されたため、19:54で飛び降りとなるネット局がある。

2020年4月10日放送分から新型コロナウイルス感染予防対策として、それぞれ一定の距離を置いての出演となり、5月8日放送分からは高橋はスタジオから、長嶋・石原・高嶋はリモート出演での収録となった。6月5日放送分からは全員スタジオに戻り、それぞれの席と席の間にアクリル板を設置して収録された。

2020年10月改編で開始時間を15分前倒しして、18:45 - 20:00での放送となった。

2021年5月24日、テレビ番組の視聴率を調査しているビデオリサーチは同月21日分の視聴率を発表し、その中で同日放送の本番組の平均世帯視聴率が番組歴代最高となる17.3%を記録したことを明らかにした。

2021年10月改編で放送時間を5分縮小して、18:50 - 20:00での放送となった。同年には「ザワつく!金曜日コンサート」と題して、レギュラー出演者が演奏にチャレンジする企画も実施された。コンサートは大阪城ホールと日本武道館で開催。このうち武道館公演は11月19日に一部生中継された。

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「ザワつく!金曜日」の出演者

「石原良純」について

「石原良純」は、日本の俳優、タレント、司会者、気象予報士。本名同じ。愛称は「まゆ毛」「よっちゃん」「ずみさん」「ニンデマン」など。神奈川県逗子市出身。慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。湘南ブラザース所属。

父は元衆議院議員・元東京都知事の石原慎太郎。叔父は石原裕次郎。兄は元衆議院議員で行政改革担当大臣兼規制改革担当大臣・国土交通大臣・自民党幹事長・環境大臣・経済再生担当大臣兼内閣府特命担当大臣(経済財政政策)などを務めた石原伸晃。弟に衆議院議員で元外務大臣政務官の石原宏高、画家の石原延啓。かつては石原裕次郎が社長を務めていた石原プロモーションに所属していた。義叔母は石原裕次郎夫人の石原まき子(元女優、北原三枝)。義姉は女優・タレントの田中理佐(石原伸晃夫人。現在の本名は石原里紗)。

経歴
1962年、神奈川県逗子市に生まれる。聖マリア幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部(サッカー部所属)、慶應義塾高等学校(合気道部所属)、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。大学では親しい先輩に誘われ、村井俊雄の金融論のゼミに入っていた。

大学在学中の1982年、叔父の石原裕次郎が入院していたのを見舞ったことが切っ掛けで、映画関係者から役者デビューの誘いを受ける。同年、石原プロモーションに入社し、映画『凶弾』で、新人ながら主役に抜擢されデビュー。本作で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞する。以降、西部警察 PART-IIIや太陽にほえろ!などに出演。その後、1989年に石原プロを退社。

1997年、森田正光にすすめられて気象予報士を志し、合格。同じ年には、「★☆北区つかこうへい劇団」に、俳優を目指す一般の若者たちと一緒に入団した。以降はタレント・役者として活動する一方、FNNスーパーニュースで10年以上にわたり関東ローカルの天気コーナーを担当するなど、お天気キャスターとしても人気を博した。オリコンが行っている「好きなお天気キャスター、気象予報士」というアンケートでは、2004年から総合部門・男性部門で1位を3年連続で獲得している。

2002年9月に皮膚科医と結婚して、一男一女をもうけている。

伊豆七島の神津島をPRする島じまん親善大使、なると大使、カニカマ大使、細工かまぼこ大使、笹かま大使、ちくわ大使、はんぺん大使、きりたんぽ大使、さきイカ大使、蕨大使、駒込大使、アペリティフの日親善大使を務める。

エピソード
兄の石原伸晃は「良純がうちの家系で一番IQが高い。だから何を考えているのか想像がつかない」と評している。各方面からは石原4兄弟の中では、良純が政治家に一番向いているという評されている。本人は政治家になる意思は無いと断言している。
地図、ダム、城、灯台、山脈、鉄道が好きで、栗が苦手。

感情がかなり豊かで、短気で、人の不幸を大笑いする癖がある。本人曰く「怒っているのではなく、主張する時は誰でも声が大きくなる」「人が不幸な目に遭ってる時には誰かが笑ってあげないと可哀想じゃん」と主張している。怒っているような時に「じゃあそういう事はやめた方がいい」と正論を言われると子供のようにムキになるが、結局論破されて涙目になることもある。当然本当に笑えない程の不幸な時には笑わないが、代わりに低いトーンで冷静に分析し、自分の意見を明確に伝える。本人曰く「こういう話し方の時は本気で怒っている」という。

中井正広のブラックバラエティ(日本テレビ系列)にて当時父親が都知事だったが、その事をよくイジられていた。また、番組で父親と共演している浅草キッドに対して「うちの親父、ワガママでしょ?」と聞き、水道橋博士から「もぅね、あんなワガママな人見た事ないですよ」と言われ「それに関しては僕は何も言えない」と閉口していた。

2018年8月9日放送の櫻井・有吉 THE夜会(TBS系列)では、案内したゲストの中村倫也より先にそばを食べ始めたり、同じくゲストの木村文乃の購入した食器がスタジオに到着した際に(木村が海外で購入したが、店主が伝票を無くしてしまったため、番組が取材するまで本人に届いていなかった。)石原が手にしたマグカップが割れており、良純は「僕が割ったんじゃない」と必死に木村に訴えたものの、木村は仏頂面で首を振るなど、スタジオの一同に「石原が割った」と思われてしまい、「めっちゃ恨まれてんじゃん俺!」と嘆いていた。

「長嶋一茂」について

「長嶋一茂」は、日本のタレント、スポーツキャスター、野球評論家、俳優、空手家で、元プロ野球選手(内野手)、元読売ジャイアンツ野球振興アドバイザー。血液型はB型。カトリック教徒で、洗礼名は「パウロ」。

東京都大田区田園調布出身。ナガシマ企画所属。父は元プロ野球選手・監督の長嶋茂雄。母は元実業家の長嶋亜希子4人兄弟の長男(第一子)で、弟は元レーシングドライバーの長島正興、次妹はキャスターの長島三奈。

プロ入り以前
小学生の頃から野球を始めたが、ピッチャーをしていた小学生の時に変化球を投げすぎて肘を負傷している。巨人入りする前に肘の手術をしたが、引退後にネクタイが結べなくなったことから再度肘の手術をしており、現在も肘を伸ばせず、腕が真っ直ぐに伸びない。小学校5、6年生の時に周囲からは「長嶋茂雄の息子が入ってきた」などと騒がれ、リトルリーグにテレビカメラが来たこともあった。大人たちは自分のチームのプロモーションができて嬉しかったようだが、300人から400人の子供が入団したことから一度野球を辞めている。親の方針で、群馬県吾妻郡六合村(現:中之条町)にある白根開善学校中等部(全寮制)に入学し陸上部に所属、2年から田園調布中学校に通い、陸上大会の時だけ陸上部に所属。高校受験では桐蔭学園高等学校にも合格したが「父親と同じ立教で野球をやりたい」と、立教高等学校(現:立教新座高等学校)に進学した。高校で野球部に入ったものの、ずっと野球をやっていなかったためキャッチボールもできなかったなど、ブランクのため苦労したが、2年の秋には四番を打つほどにまで成長した。3年生時の1983年春季関東大会県予選準々決勝に進むが上尾高に惜敗する。同年夏の甲子園県予選も準決勝まで進出したが、所沢商に延長10回0-1xで敗北を喫した。

卒業後は立教大学に進学し、硬式野球部では1年生時からレギュラーとなる。東京六大学野球リーグにおいて当時の立教大学は低迷が続き、1966年春季リーグ以降は優勝から遠ざかっていた。4年生時の1987年春季リーグでは、四番打者、主将として打率.340を記録し、満票でベストナイン(三塁手)に選出される。同年秋季リーグでは4本塁打、16打点(秋季リーグ打点王)を叩き出し、二期連続ベストナインに選出された。同季は法政大学と最後まで優勝を争うが惜しくも2位に終わる。同年の第16回日米大学野球選手権大会の日本代表にも選ばれている。リーグ通算101試合出場、382打数86安打、打率.225、11本塁打、54打点を記録する。高校・大学の一年後輩に矢作公一がおり、日米大学野球にも揃って出場している。また、1987年アジア野球選手権大会にも代表にも選出される。

在学中に授業には1度も出席したことがなく、野球部寮とグラウンドの往復で4年間過ごしたと語っていた。

1987年のドラフト会議でヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズの2球団が1位指名で競合し、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得した。後に契約金8000万円、年俸840万円(金額は推定)で入団合意した。ドラフト前日まで巨人も1位指名を検討したものの結局回避した。当時ヤクルトの監督だった関根潤三は著書の中で「一茂のドラフト指名は僕の意向が強く働いた。六大学リーグでプレーする一茂を見に行って粗削りだけどものはいい。こりゃ素晴らしいプレーヤーになると思った」と記している。横浜大洋は80年代に父・長嶋茂雄の監督就任に熱心だった事もあり指名したという。父・長嶋茂雄は、育成の確かな広島東洋カープを勧めていたが、本人が「映画で見るようなヤクザの場所みたいで怖そう」という理由から難色を示したという。なお、西武ライオンズも指名の意思を表明していたが、これは大学進学を表明していた鈴木健を指名するためのカモフラージュであった。

ヤクルト時代
1988年、春季キャンプから一軍メンバーに選出される。オープン戦で3割以上の打率を残した。4月27日の神宮球場での巨人戦では、ビル・ガリクソンから、プロ初安打をホームランで飾り、『ミスター二世』として注目を集めた。しかし、本人は開幕後に相手投手の攻め方が変わったことでプロの壁を痛感しており、1年目の4月で限界を悟ったという。球団は1989年オフ、関根潤三の後任として父・茂雄に監督就任を要請をするが、茂雄は家族の反対もあり辞退、野村克也が監督に就任した。

野村が監督に就任した1990年は野村の提唱するID野球にまったく馴染めず、ミーティングでも一茂はノートに漫画を描いていた。これは、野村がミーティングで長嶋茂雄批判をすることがあったことが理由である。当時、監督やコーチはもちろん、OB、評論家どころかカメラマンからも助言や指導をされ「助言のフォアグラ状態」になり、誰の指導や助言にも耳を傾けることができないでいたと一茂本人が語っている。なお、一茂は野村ではなくコーチ陣に対して不満があったとのこと。1991年は、6月初旬からスタメンで起用されると、6月9日の広島戦では3安打5打点の活躍をし、その試合を皮切りにチームが球団新記録の12連勝をした。この12試合中の一茂の成績は、打率.282、2本塁打14打点OPS.934の成績を残し、ついに開花したと言われた。しかし、13連勝を狙った6月26日の巨人戦では、3点リードの9回裏にまずい守備を連発して逆転サヨナラ負けを喫したため、スポーツ紙では、長嶋に始まり長嶋で終わった12連勝と呼ばれた。

1992年は、マイナーリーグ・1Aベロビーチ・ドジャースに野球留学したため出場機会がなく、チームの14年ぶりの優勝には貢献できなかった。後に「報道ステーション」2008年5月27日放送分(テレビ朝日)の中で野村と対談し、「お前(ミーティング中に)漫画描いてたじゃないか」と冗談混じりながら当時の行動について指摘されている。また関根は「しかし結局選手として大成させられなかった。今でももう少し育てようがあったんじゃねぇかって思う。例えば僕のそばに置いてもっとシゴいたほうが良かったかもしれない。バッティングコーチも長嶋茂雄の息子だって言うんで遠慮あっただろう。それも含めて一茂を一人前にできなかったのは僕の責任。中途半端な育て方しかできなかった。」と記している。伊勢孝夫打撃コーチは一茂が伸び悩んだ要因の一つに、勝手に打撃フォームを弄って短期間で放り出す評論家の存在を挙げており、一茂自身も余りに多すぎる周囲の助言にノイローゼ状態だったと告白している。オフに入ると千葉ロッテマリーンズ、福岡ダイエーホークス、横浜大洋ホエールズからトレードの打診が球団に寄せられた。

巨人時代
1993年、父・茂雄が監督に就任した読売ジャイアンツへ金銭トレードで移籍する。茂雄は「一茂は実力を出し切っていない。巨人は右打者が足りていないので。」と獲得した理由を説明した。当時のヤクルト監督・野村克也は、「一茂は怖がりでどうしようもないから、父親の元でするのが一番と球団社長に提案してトレードに出した」と後に明かしている。キャンプから外野の練習を行い開幕戦は6番・レフトでスタメンを勝ち取る。同年の古巣ヤクルト戦では、原辰徳との守備交代で、「4番、サード長嶋」がコールされた。しかし、この年には肘や膝を痛め、9月には手術をしている。

1994年は、レギュラーシーズンは46試合に出場した。9月6日の横浜戦では同点の場面で原辰徳の代わりに代打で出場し、原は「週刊現代」95年2月18日号のインタビューで「一茂を代打に出されたときはどうだったかって? そりゃ悔しかったよ! 「なにィ!?」「ふざけんな」って感じだったね。そういう気持ちを持ってないと、野球選手なんてやってられないんだよ」と述べている。同年の日本シリーズはベンチメンバーのみであり、試合に出場する事は無かった。5月10日、対ヤクルト戦 8回裏、ヤクルトの飯田哲也が放ったショートへの打球を巨人の遊撃手・川相昌弘が捕球後、三塁手・長嶋一茂に送球し、走者の野口寿浩にタッチしたが、セーフ判定。一茂はこの判定に不服として、即座に三塁塁審・橘高淳を押したため、暴力行為で退場が宣告される。ちなみに橘高が初めて退場処分を下した試合である。

1995年は右ひじの負傷によって一軍出場はゼロに終わる。1996年は春先は不振のジェフ・マントがスタメンを外されると積極的に起用され、低打率ながら3本塁打を記録する。しかし、当時の総合守備コーチ土井正三から一茂だけが2時間のバント練習を課されたことに対して「何様だよ、あいつ」「あんな奴いらねえよ」などと暴言を吐き、球団から罰金50万円と二軍降格に加え、出場停止処分を受けた。同年オフ、父・茂雄から「一茂、残念だけどお前は来年の戦力構想に入っていない」と戦力外通告を受けた。その後、他球団が獲得の意向を見せたが、「これ以上迷惑をかけたくない」と発言し現役を引退する。引退について父・茂雄は「プロの世界だって1年限りの世界ですから」と発言した(「監督と選手の関係から親子の関係に戻ろう」とも発言していた)。

現役引退後
現役引退後は個人事務所「ナガシマ企画」を設立し、タレントに転身する。戦力外を通告される年、偶然にも明石家さんまとゴルフをする機会があった。まさか引退がつきつけられるとは思ってもみなかった一茂は、さんまからその時に「辞めたら俺がやってる番組全部来いや」と言われても真剣に受けとめることができなかったが、現役を退いた後、その言葉通りさんまのすべてのレギュラー番組で出演オファーを受け、出演した。さんまの事を大恩人と語っている。またスポーツキャスターとなり、1997年〜1999年にフジテレビの『プロ野球ニュース』(週末)、2000年〜2002年に日本テレビの『独占!!スポーツ情報』(のちの『THE独占サンデー』)の司会を担当した。プロ野球ニュース担当時代には当時流行していたサントリーボスのCMのパロディーで「親が凄いと子供も凄いんだよな、な。」と問いかけられて「なに。」と答えるという自虐ネタを演じたこともあった。

1999年、当時の担当マネージャーだった女性と結婚。

2002年から2年間に渡ってNHKのインタビュー番組『わたしはあきらめない!』の聞き手役も務めた。

スポーツキャスターと並行して俳優業も行い、2000年は『NHK朝の連続テレビ小説・オードリー』に出演し(時代劇の剣士役)、俳優としての地歩を固める。2002年は映画『ミスター・ルーキー』(日本アカデミー賞新人賞受賞)、2005年には『男たちの大和/YAMATO』、2004年は、TBSの『サラリーマン金太郎4』、テレビ朝日の『逮捕しちゃうぞ』、2005年の『NHK大河ドラマ・義経』等に出演。

『さんまのSUPERからくりTV』(TBS)ではレギュラー解答者のほか、『知識の泉』のコーナーに出演。西村知美、松嶋尚美、浅田美代子らと共に天然ボケを活かし爆笑トークを展開していた。2004年、『さんまのSUPERからくりTV』の中で打倒・松岡修造を目的にさんまらによって結成された『からくりテニス同好会』のメンバーに加入。同番組には特に思い入れが強いようで、バラエティのイロハをそこで教わったとのこと。さんまに時には収録中に怒られることもあり、最も激怒されたのが収録中に寝たことだった。

2004年4月、田中律子、磯野貴理子とともにTBSのお昼の生放送番組『はぴひる!』の総合司会を務める。6月6日、アテネオリンピックの聖火ランナーを務める。同年、日本テレビのアテネオリンピック中継のキャスターに選ばれた。また、2004年6月に双子の女児が誕生した。このことは、本人が総合司会を務める昼のテレビ番組の中で本人の口により発表された。

2005年1月1日より当時球団会長渡邉恒雄の推薦で読売新聞グループ本社社長室付けスポーツアドバイザー、並びに巨人球団代表特別補佐(アドバイザー)として招聘され、2011年1月1日まで務め、同日付で野球振興アドバイザーに就任した。その後、2016年にはアドバイザーを終了していることが報じられた。スポーツキャスターや芸能活動は以降も継続している。また、この年には清原和博が戦力外通告を受けた時に接触した事を清原の逮捕後に明かしている。なお、清原が逮捕前に出演した「ワイドナショー」では共演した事がある。

2006年、三菱UFJ信託銀行のCMに父・茂雄との親子共演を果たした。

2013年、クラシアンのCMにイメージキャラクターとして抜擢された。

極真空手
プロ野球を引退した翌年の1997年に極真会館(東京城西世田谷東支部)に入門し、黒帯を取得した。1999年3月、数見肇の百人組手の40人目の対戦者を務めたこともある。その経験から、フジテレビのK-1中継の司会を務めていた。

2018年11月、極真空手の公式大会、「全関東空手道選手権大会」に出場し、50歳以上+80キロ以上の部で優勝した。

2019年4月20日、極真空手の国際親善空手道選手権大会に「50歳以上、80キロ超級」の階級で出場し、銅メダルを獲得した。

2021年7月25日、極真空手の東日本空手道選手権大会に「50歳以上+80kg級」で出場し、金メダルを獲得した。

タレント転身後
『孤独のグルメ』ドラマ化が企画された際に主演に予定されていたが、原作者の久住昌之が「長嶋一茂は嫌いではありませんが、ちょっと」と難色を示したために話が流れている。

タレント転身後から、バラエティ番組、ドラマ、コメンテーターなど幅広く活動してきたが、2018年に入り出演番組が急増し、「ブレイクしたタレント」の仲間入りを果たしている。

3歳の頃から気に入っているハワイを頻繁に訪問、現地に一軒家を所有し、2018年だけでも仕事の合間に年6回滞在しており、将来的に「半年ハワイ、半年東京と両方」という移住プランも行っている。

自身がテレビ出演時には父を語る時でも父・茂雄の写真や映像は一切出てこないが、これに関しては妹・三奈が代表を務める管理会社が許可を出さないためである。

母親の亜希子が生前に特攻隊員の慰霊に熱心だったことが縁で、2020年6月に「一角に水を使った慰霊碑を建立したい」と知覧平和公園がある鹿児島県南九州市に申し出て、平和事業のために200万円を寄付した。これを受けて、南九州市はこの寄付金とクラウドファンディングなどで募った資金を活用して、特攻隊員を慰霊する噴水を同公園に設置することを2021年8月に発表した。

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「ザワつく!金曜日」の放送内容

「ザワつく!金曜日」のコラボレーション企画

山芳製菓とのコラボレーション
2020年9月4日放送分で、長嶋一茂が「今までで一番美味しかったポテトチップス」としてイカスミ味のポテトチップスを挙げ、調査の結果 山芳製菓が発売していた製品であることが判明した。その後、試験的に復刻版を作成したところ出演者から好評を博したことを受け、同年11月9日から一般発売が開始された。なお、イカスミポテトチップスの復刻は2014年に次ぐ2回目で、パッケージには番組ロゴも追加されている。

栗山米菓とのコラボレーション
2021年2月26日放送分の「ザワつく!工場クイズ」で栗山米菓で発売されている製品「ばかうけ」の製造過程を出題した際、これまで280種類以上の味を展開しているという話の中で3人が『過去に人気のなかった味を食べてみたい』と提案、同年3月12日放送分の「ザワつく!辛口品評会」で試食を行った。その中で3人が「ばかうけ」の新しい味を提案。同年5月14日放送分にて試作品を試食。その結果、「トリュフ味」と「金山寺味噌味」の商品化が決定、同年8月30日から一般発売が開始された。また、「スイカ味」についてもテレビ朝日の通販限定で発売されている。

他番組とのコラボレーション
前述の『相葉マナブ』とのコラボ特番の他に、同局の他番組にレギュラー陣が出演する特番が放送されている。

2021年6月5日には『徹子の部屋』放送45周年を記念したゴールデン2時間特番「『徹子の部屋』45周年スペシャル〜徹子&明石家さんま&一茂良純ちさ子土曜の夜もザワつく会!!〜」に明石家さんまとともに、長嶋・石原・高嶋がゲスト出演、黒柳徹子とトークを繰り広げた。

2021年8月29日には、番組初のスピンオフ企画であり、『路線バスで寄り道の旅』とのコラボ特番「ザワつく!路線バスで寄り道の旅」が放送。長嶋とサバンナ高橋が路線バスを貸し切り、道中で入れ替わるゲストとともに、横浜の街を旅した。
 
 
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希空

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