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フジテレビで毎年お正月シーズンに放送されているバラエティ番組「さんタク」2024の見逃し配信や生配信を無料視聴する方法を紹介したいと思います。動画配信といえばTVer(ティーバー)やabema(アベマ)などが思い浮かびますが、無料動画配信はそれらのサービスが全てではありません。
今回ご紹介する「さんタク」の動画は現在配信されていませんが、今後配信されるとすれば、それは動画配信サービス「U-NEXT」になるのではないかと思われます。
それでは「さんタク」について紹介していきたいと思います。
「さんタク」2024
さんタク【明石家さんま初YouTubeで木村拓哉・SnowManとゲーム対決】
今回は「ドキドキ」がテーマ!ある有名人の高級車でサーキット場を200キロ超で爆走!さんま作詞の新曲を東京の夜景バックに木村が歌う!さんま初体験の企画も
明石家さんまと木村拓哉による正月恒例特番『さんタク』。2人が「有言“即”実行」をモットーに、あらゆることに挑戦する。今年のテーマは「ドキドキ」に決定!2人は“ドキドキ”を味わうべく、サーキット場、YouTube撮影現場、予約7年待ちの焼き肉店へ!どんな展開が待っているのか?
木村がさんまをドキドキさせるべく関東近郊にあるサーキット場へ!とある有名人から借りた高級車の助手席にさんまを乗せ、木村が猛スピードで爆走!時速200キロ超のスピードにさんま、ドキドキを超えてヘトヘト…?木村のドライビング姿は必見!
さんまがこれまで一度もチャレンジしたことがないという“YouTube撮影”。木村は後輩・Snow Manが撮影している現場へさんまを連れて行き、さんまにとって最初で最後の!?YouTube撮影に挑戦する。11人は、さんまチームと木村チームに分かれ、深澤辰哉進行のもと、とあるゲームに挑戦する!チームワークを深めて勝つのは…!?ドキドキ・ワクワクが隠せないさんまの無邪気な表情に注目!
さらに「木村にドキドキするほどおいしいお肉を食べさせたい」と、予約7年待ちの焼き肉店へ連れて行ったさんま。どんな料理が待っているのか!?
最後は番組恒例、木村の歌唱パフォーマンスも!木村からオファーを受けたさんまはコツコツと歌詞を書き上げ、最高の曲が完成!どんな歌詞になっているのか、お楽しみに!
「さんタク」の出演者
明石家さんま 木村拓哉
Snow Man
佐野瑞樹(フジテレビアナウンサー)
「さんタク」の詳細
ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました!
気になる箇所へ飛んでみてくださいませ!
「さんタク」の概要
「さんタク」は、フジテレビ系列で2003年から放送されている特別番組及びバラエティ番組である。
明石家さんまと木村拓哉の冠番組である。ステレオ放送、文字多重放送、ハイビジョン制作を実施。
毎年お正月(1月1日・1月3日)の夕方に放送されている新春特別番組である。
ただし、2017年の場合は諸事情により正月ではなく、同年4月10日に放送された。
番組のコンセプトは「明石家さんまと木村拓哉がやりたいことをやる」であり、「やりたいこと」のキーワードがちりばめられたトーク部分にそれを実際に行うロケとスタジオ収録部分がリンクしながら進行する番組である。
とは言え、飛行機恐怖症で通常は陸路で移動をするさんまがスカイダイビングに挑戦するなど、お互いが苦手なものややったことのないものを選ぶことが多く、2人の素の姿が伺える。
トーク部分の収録はさんまと木村のスケジュールの都合や、その後にロケの収録も行う必要があるため、放送前年の11月中に行われ、さんま曰く、新春特番史上最も収録が早い。番組中、流れるBGMは2人の選曲による。
番組は、2人が2002年に同局で放送されたテレビドラマ『空から降る一億の星』で共演し、公私共に交流を深め、その打ち上げの席の場で企画が出たことに始まる。
企画・発案は同局の『SMAP×SMAP』のディレクターであり、さんまと親交のある小松純也(現・スチールヘッド代表取締役)。
さんまは自身がパーソナリティーを務める『ヤングタウン土曜日』(12月3日)で当番組が2016年限りで終了したと発表したが、2017年2月25日の同番組にて、本番組が4月に放送されることを明らかにした。
2017年のみ4月にゴールデン・プライム枠で放送され、2018年から再び例年通り元日夕方枠での放送となる。
2021年の元日の放送では番組初の生放送となる。
「さんタク」の出演者
「明石家さんま」について
「明石家さんま」は、日本のお笑いタレント・司会者・俳優。
吉本興業所属。本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)。番組企画や構成等では、本名名義でクレジットされることもある。
和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)生まれ、奈良県奈良市出身。
落語家を志して2代目笑福亭松之助の弟子となり、高座名・笑福亭さんまとしてデビューするが、師匠の推薦でタレントに転向し、屋号を明石家に変えた。その後は1970年代後半から現在まで芸能界の第一線で活躍を続けている国民的お笑いスターの1人であり、ビートたけし・タモリと並び「お笑いBIG3」と称される。
1955年に和歌山県串本町の水産加工業の次男として生まれる。3歳の時に奈良県に転居し、出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時に捕まえたムササビが展示されている。また、当時は「ムササビを捕まえた少年」として話題になった。教師の薦めで東大寺学園中学校を受験したが不合格となり、その後奈良市立三笠中学校に進学した。奈良県中学生相撲大会で2位になったことがある。中学時代は同級生2人と「アーアーズ」といういたずらグループを結成し、遊びに興じていたという。 また植木等のモノマネをしていた。
奈良商業高校時代もクラブ活動はサッカー部に所属したものの、決して真面目な生徒ではなく何度も別のクラスの授業を悪戯で妨害するなどで学校中の人気者となり、さんま自身も「自分の頂点は17歳」と公言している。当然教師からは目の敵にされ、高校3年の運動会で徒競走で逆走した際に、それに怒った教師にPTAなどの前で追い掛け回されたりするなどのエピソードがある。 またクラスメイトの前で桂三枝の落語のコピーや自身の新作漫談もよく披露し、ある英語教師も授業を時々中断してはそれを黙認していた。そしてその才能に驚いた教師に「杉本、おまえ、吉本入れ」と言われ、徐々に芸能界に興味を持つようになった。 奈良商業高校時代は授業を抜け出してパチンコに興じ、得た収入を仲間に分配していた。
弟子入り
1974年2月、高校3年の時に笑福亭松之助に弟子入り。入門の動機は、花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったからだという。初めて顔を合わせた際、松之助に「なぜ僕を選んだのか」と入門の理由を問われたさんまは「センスがよろしいから」と、素直な気持ちを伝えたつもりだったが、これに対し松之助は「そら、おおきに」と返答。この日すぐ松之助はさんまを自身の仕事先であるラジオ局に連れて行った。
高校卒業後の3月に正式に内弟子修行を開始。入門生活は丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だった。高座名は「笑福亭さんま」が与えられた。
しかし半年もしないうちに内弟子修行を放り出して、当時交際していた女性と共に上京し、東京で一旗揚げようと試みる(いわゆる「さんま駆け落ち事件」)。しかし、東京での生活はうまくいかず、さんまは一時帰阪した際、松之助から借りていた本を返すという口実で、松之助宅を訪ねたが、松之助はさんまを一切叱ることなく、明るい声でさんまを激励した。このときは正式な弟子復帰に至らなかったが、松之助は「さんまが帰ってくるから、よろしゅう頼むわなぁ」と上方落語界や吉本興業への根回しをしており、直後にさんまと交際していた女性が別の男性と結婚し、さんまは内弟子修行に戻ることを決意して、なんば花月の松之助の楽屋を訪ねた際、松之助は「何もいうな、ついてこい!」と、師弟で初めて食事に行ったラーメン店にさんまを連れ出した。その後笑福亭のままでは反発があると、松之助の計らいでそれまで屋号を名乗っていた笑福亭ではなく「明石家さんま」として再出発した。
関西ローカル時代
1976年1月15日放送のよみうりテレビ制作の『11PM(大阪イレブン)』にて生放送された、20歳を迎える上方落語家をスタジオに集めてトークする企画「20歳の性熟度ピンクテスト」に出演。松之助は着物ではなく「赤いブレザーを着ていけ」と指示し、出演者の多くが着物姿の中、指示に従って営業用の赤いブレザーを着用して放送に臨み、よく喋ったさんまは目立った存在だったという。これがさんまのテレビデビューだった。
弟子になってから2年が経ち、通い弟子を卒業したさんまだが、テレビの出演オファーは全く無く、不定期の花月劇場の出番と落語会の出番の他、同期の島田紳助とイベント司会などの営業活動を行なっていたのみで、ほぼ毎日のように先輩芸人の森啓二とナンバ五郎(のちのMr.オクレ)とプラプラしてるだけだったという。ある日、毎日放送の『スタジオ2時』の企画「若手漫才選手権」に兄弟子の明石家小禄と漫才コンビとして出場を打診され、他に仕事もなく、松之助の助言もあり出場。小禄との漫才では、巨人の1番柴田から8番河埜までの選手の形態模写を順番に披露し、最後に巨人のエース小林繁の投球フォームを披露するネタが客にウケ、徐々に人気が高まった。その事もあり1976年の大晦日にフジテレビ『小川宏ショー』に出演。前述の形態模写で同年に活躍したスポーツ選手ネタだったが、これが東京での初仕事となった。翌1977年2月からうめだ花月に漫才コンビとして出るようになり、吉本興業から「アトム・スリム」として正式にデビューを打診されるが、さんまはピンで売れたい気持ちが強く拒否し事実上のコンビ解消となった。同時期に島田紳助からも漫才コンビを組む事を打診されるが拒否し、代わりに松本竜介を紳助に紹介し「紳助・竜介」結成に大きな役割を果たしている。
1977年10月にはB&B、のりお・よしお、ザ・ぼんちらとのコントユニット「ビールス7」を結成し、花月の舞台に定期的に出演していた。それらの活動が桂三枝の目に留まり、彼が司会する毎日放送の人気番組『ヤングおー!おー!』に抜擢。三枝の愛称「サニー」にあやかって「チャッピー」と愛称を付けられ、三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわし、林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍の番組内ユニット「ザ・パンダ」を改編して、さんまを加入させた「サニーズ・オオサカスペシャル(S.O.S)」を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる。その流れで1978年10月には『MBSヤングタウン』の桂三枝のアシスタントに抜擢。さらに同じ頃にプロ野球において「空白の一日」事件が起こり、巨人の小林繁が阪神に移籍すると、前述の小林の形態模写が再び脚光を浴びて、同形態模写をモチーフにしたレコードを出し、大ヒットするなど関西を中心にアイドル的な人気となる。
全国区のスターに
1978年のフジテレビ正月特番『はつもうで、三枝の爆笑ヒットパレード』に出演。その番組のスタッフだった横澤彪や三宅恵介との出会いから『スター千一夜』をはじめ、その後も両者が担当するフジテレビの多くの番組に重用される事になる。1979年10月にはニッポン放送で『明石家さんまのオールナイトニッポン』などレギュラーをもつなど徐々に東京にも進出しはじめ、1980年代に入ると、ピン芸人にもかかわらず漫才ブームに乗っかって『THE MANZAI』等に出演していた。
1980年に吉本興業が東京に本格的に進出するために東京連絡所を設立、漫才ブームが徐々に失速する中、さんまと紳竜が先頭に立って東京での仕事を増やし始めて、『笑ってる場合ですよ』、『オレたちひょうきん族』に主要レギュラーとして出演、さらに同年放送開始の『さんまのサタデーナイトショー』(テレビ東京)で、冠番組を獲得している。1983年12月に『のんき君』(フジテレビ)でドラマ初主演を果たすなど、当時は下に見られていた東京での大阪芸人としての地位を築くとともに、大阪中心から東京中心に活躍の場を移した。しかしこの時期に仕事の量と給料が全く釣り合わず、密かに吉本を辞める決心をしていたが、東京支社長の木村政雄から吉本の看板でいて欲しいと言われ、思いとどまったという。
1984年4月からは『笑ってる場合ですよ!』後番組の『笑っていいとも!』で金曜日レギュラーとして出演。特にさんまが「10分でいいからタモリさんと雑談するだけのコーナーをしたい」とプロデューサーに頼み込み、結果として10年以上続く人気コーナーとなった。これがきっかけで1985年6月、第1回東京国際映画祭において、タモリと共に総合司会を務める。しかしその司会ぶりが「ふざけた司会者」・「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。2回目以降も総合司会を任される予定だったが、結局1回限りで降板になった。
この時期は多忙を極め、大阪と東京を週に何往復もしていて、1985年8月12日、『MBSヤングタウン』出演のため、伊丹行きの日本航空123便に搭乗する予定だったが、搭乗前の「ひょうきん族」の収録が予定より早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたためにその墜落事故を免れた。同日放送の「ヤングタウン」では、「いつも使ってる便やから…」とショックを隠せず、この経験を機に飛行機に乗れなくなってしまい、東京・大阪間の移動などは新幹線を利用するようになった。また、この経験から生まれたさんまの座右の銘が「生きてるだけで丸儲け」であり、娘IMALUの名前の由来になっている。また、笑顔のまんまの歌詞にもこの言葉が使われている。
1986年7月よりTBSテレビドラマ『男女7人夏物語』、1987年10月よりその続編である『男女7人秋物語』に主演し、いずれも最高視聴率が30%を越えるなど名実ともに国民的スターとなる。同番組で大竹しのぶと親しくなる。
1987年4月、ナムコ(現在のバンダイナムコエンターテインメント)がファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売し、人気を博す。しかし吉本興業が本人の許可を取らずにメーカーに制作・発売を許可したため、事実を知ったのは発売後だった。
同年7月18日 - 7月19日にかけて生放送された『第1回FNS27時間テレビ・FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島』の総合司会をタモリと共に担当。深夜のコーナーでフライデー事件で謹慎していたビートたけしが登場。これをきっかけにして、タモリ・たけし・さんまで、正月にゴルフ番組をしようとする企画が生まれ、その番組のタイトルが「BIG3」となり、結果的にこの3人がBIG3とよばれるようになった。翌1988年は司会を辞退したが、1989年にも『FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89』の総合司会を再びタモリと共に担当した。
大竹しのぶとの結婚・離婚
1988年10月、『男女7人秋物語』の出演以降も交際が続いていた女優の大竹しのぶと結婚、翌1989年に娘のIMALUが誕生した。
1989年10月で『ひょうきん族』が放送終了すると同時に、しばらくは育児に専念するため仕事を控えるようになり、全国ネットのレギュラー番組も『笑っていいとも』、『さんまのまんま』、『あっぱれさんま大先生』のみとなり、ゴールデン帯のレギュラー番組が一時期なくなっていた。また1991年にはOVA『リリが見たやさしい虹』を原案および声優(ジョー役)として参加(リリ役は大竹)。また絵本としてもさんま名義で出版(ストーリーは脚本家の君塚良一)するなど、家庭的なイメージを見せていたが、しかしそれにより5年連続して1位だったNHKの『好きなタレント調査』で15位にまで急落するなど、一時的に人気に陰りが見えていた。
1992年9月、大竹と離婚。バブル崩壊も相まって、しばらくは8億5千万円の豪邸が中々売却できずに、「同情するなら家買って」など自虐ネタなどもギャグにしていた。結局数年後3億円まで落として売却されたため、5億円の借金が残った。そのため1992年4月から、『さんまのからくりTV(1996年4月から『さんまのSUPERからくりTV』)』、1993年4月から『さんまのナンでもダービー』、1994年4月からは『恋のから騒ぎ』がそれぞれ放送開始するなど仕事の量も増やし、前述の好感度調査も1995年には6年ぶりに1位になり、1998年以降は再び連続して1位になっている。
番組スタッフとの確執がきっかけで、1995年9月を以て金曜レギュラーとして11年半出演した『笑っていいとも!』を降板。
男女七人秋物語出演以降は、主演としてのドラマ出演も控えていたが、『恋も2度目なら』(1995年1月~3月、日本テレビ)、『その気になるまで』(1996年4月~6月、TBS)、『恋のバカンス』(1997年1月~3月、日本テレビ)、『世界で一番パパが好き』(1998年7月~9月、フジテレビ)、『甘い生活。』(1999年7月~9月、日本テレビ)など離婚後は年に一回のペースで主演を務めていた。その他では1996年1月10日にはフジテレビの田村正和主演の『古畑任三郎』シーズン2の初回スペシャルにゲスト出演し、やり手の弁護士を演じる。第1シーズンは平均視聴率は10%台半ばだったが、この放送で視聴率25%をたたき出し古畑を人気シリーズへとを高める役割を果たした。
大御所芸人として
90年代までは『いいとも』金曜日の雑談コーナーや『車庫入れ事件』に代表されるように、BIG3の立ち位置でもビートたけしとタモリにいじられる役割が多かったが、90年代後半あたりから、ナインティナインはじめ一回り以上離れている後輩芸人がどんどん出てきて、お笑いBIG3の一人として大御所の立場に変化しはじめると、後輩芸人に対してお笑いに対してよりストイックになり、そのために本番中であろうがあまりのダメ出しの多さに「めちゃイケ」にゲスト出演した際にナインティナインの岡村隆史から『お笑い怪獣』と呼ばれだしたりして、それがさんまを表す代名詞として定着した。
SMAPと親交を深め、特番はじめ年一回のレギュラーとして、2000年から2016年までは中居正広と『さんま・中居の今夜も眠れない』で共演するなど多くの番組で各メンバーと共演した。その中でも2002年の『空から降る一億の星』(フジテレビ)のW主演での共演をきっかけに、木村拓哉と特に公私ともに親交を深め、2003年からは毎年の正月特番として『さんタク』で共演を続けている。
2003年、自身としては初めての戦争ドラマに挑戦したTBSドラマの『さとうきび畑の唄』に主演し、平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞受賞作品するなど、高い評価をうけた。しかし、戦争映画特有な過酷なロケに対して自身は「もう二度と戦争ドラマには出たくない」と語っており、ドラマ内の名セリフ「こんな事をするために生まれてきたんじゃないんですよ」を自らパロディにしたりして笑い話にしたりしている。
2009年に娘のIMALUが芸能界デビュー。当初は猛反対していたが、デビューするにあたっては発表前日に突然元妻の大竹から聞かされた後は諦念し、「とにかく人の倍は努力せなあかん」とアドバイスを送った。
2012年4月8日、なんばグランド花月にて行われた、「吉本興業創業100周年特別公演・伝説の一日」の4回目に出演。大トリとして、『さんまの駐在さん』が25年ぶりに復活した。本公演には、当時のレギュラーメンバーであった月亭八方や間寛平、村上ショージ、ジミー大西の他に、今田耕司や岡村隆史、桂三枝、西川きよし、師匠の松之助など総勢51名が出演した。
還暦以降
2015年7月に還暦を迎え、還暦記念してフジテレビで『さんまでっか!?TV』、毎日放送で『痛快!明石家電視台 明石家さんま生誕年SP』などが放送され、番組はさんまのゆかりの芸人らが出演し思い出に花を咲かせた。さんまは還暦を迎えるにあたっての心境として、一時期引退も考えていた。しかし、吉本幹部はじめ芸人仲間の反対や、特に爆笑問題の太田光に「ぼろぼろになるまでやって欲しい。今辞めたらかっこよ過ぎる」などと言われ、最終的には撤回した。
還暦を越えてからテレビタレント以外の活動として、プロデューサー業にも携わるようになり、2018年にはジミー大西の半生をドラマ化した『Jimmy~アホみたいなホンマの話~』をNETFLIXでプロデュース。これまで構成や企画としての番組参加はあるが、プロデューサーとしての番組制作に携わるのは初めてだった。当初は小出恵介がさんま役を演じ、前年に実際にクランクアップまでされていたが、配信開始直前に小出が不祥事を起こしたため、お蔵入りの危険もあったが、最初にオファーされていた玉山鉄二が代役として、さんま役のシーンをすべて撮り直し再編集した形で当初予定より1年延期して2018年夏に配信された。さんま自身、本編には出演しなかったものの、毎話のオープニング解説と最終話のラスト後に制作秘話を振り返る形で出演した。なお、さんまは小出についてニューヨークまで会いに行くなど、その後も小出と親交を持っている。
2015年11月に『さんまのまんま』で共演した直木賞作家の西加奈子との縁で、彼女の小説『漁港の肉子ちゃん』の映像化の権利を取得。当初は実写映画化を考えていたが、西の希望によりアニメ化されることになり、同プロジェクトにプロデューサーとして参加。2年余りの製作期間を経て2021年6月に上映した。
「さんタク」の放送内容
第1回(2003年)
さんまの希望によりサーフィンに挑戦。
サーフィンが趣味である木村の指導で、極寒の海にて決行。寒さが苦手なさんまは途中リタイア。
ダーツ対決ではさんまが勝利するも、ビリヤード対決では木村が勝利。
スーパーアイドルの木村にキャバクラを初体験させるため夜の六本木へ。このときジミー大西がゲスト出演。
エンディングでは木村がギター弾き語りで「アミダばばあの唄」を熱唱。
第2回(2004年)
カヌーで激流下り。負けず嫌いの木村が嫌がるさんまを連れて何度も挑戦。
河原でキャンプ。木村の趣味であるフライ・フィッシングをしたあとテントで一泊する予定だったが、どうにも居心地が悪くなり帰路に就く。
バドミントン対決。結果はさんまの圧勝。
さんまが大ファンであるエミネムに近づくため、ラップに挑戦。2人に纏わるオリジナル歌詞を披露。
第3回(2005年)
2人の原点に帰ることをコンセプトに「空から降ってみる」→スカイダイビングに挑戦。木村は大興奮もさんまはグッタリ。
木村が大喜利に挑戦。大御所芸人・さんまの厳しい指導を受ける。
美味しいごはんの友を賭けて射撃対決。
何故か翌年の海外ロケが決定(しかし結局実現せず)。
ビヨンセになりきってプロモーションビデオのパロディを撮影。木村ビヨンセにスタッフ興奮。
心霊ホテルで豪華ディナータイム。さんま・木村共に大いに怖がる。
第4回(2006年)
『へんないきもの』という本に感化されたさんまの希望で、トビイカを見に宮古島へ。
船で沖合いに出たところ、いつの間にか木村がマグロ釣りに挑むことに。
恒例のドライブシーン。今年は何故か軽トラック。
フリースローとアメフトで対決を行い、木村が2連勝。
「いい加減落ち着け」と言う木村たっての願いで、さんまの本気の彼女を探すために番組でお見合いを決行。
エンディングではアニメ『うる星やつら』ファンのさんまの希望で、木村が主題歌『ラムのラブソング』をギター弾き語り。
第5回(2007年)
木村の『華麗なる一族』の撮影やさんまの仕事の関係上撮影日数が1日だった(企画決めトーク無し)。
ロッククライミングに木村が挑戦。
今回ロッククライミングの行われた場所は「ファイト!」「一発!」のリポビタンDの撮影が断念されたほどの所であった。
対決コーナーでは乗馬で対決。木村が勝利。
「人生ゲーム」風のボードゲームにてそれぞれの経歴を元にして作成されたマスの内容を実行(出演ドラマのワンシーンなどを再現)。
さんまの本気の彼女を探すため、また番組でお見合いを決行。木村もかなり興奮していた。
エンディングでは、さんまがドラム缶風呂につかりながら、1986〜1987年のクリスマスイブに日本テレビで放送された「メリー・クリスマス・ショー」(さんまが司会)のエンディングで総出演者で歌われたユーミンと桑田合作の『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』をタイトルを「Kissin' Santaku」、歌詞の「クリスマス」を「さんタク」などと変更し木村がギターで弾き語りした。
第6回(2008年正月)
表参道ヒルズ内のカラーリング専門店で、さんまが人生初の茶髪。
宮崎県でオールロケ。東国原英夫宮崎県知事がスペシャルゲスト。
企画決めトーク中、笑福亭鶴瓶へ電話。就寝中の鶴瓶を起こす。
嫌そうな鶴瓶が一度切るも今度は鶴瓶から発信。
恒例の対決は「和」をテーマに相撲と剣道で対決。
相撲はさんまが勝利、剣道は木村が勝利。
相沢紗世と木村プロデュースのドラマ撮影で共演。
“寝ない男”さんまの寝顔を公開。翌日、海へ誘い親睦を深める。
エンディングは歌でなく女形に挑戦。放送当時16歳の女形早乙女太一がゲスト出演、2人に模範演技を見せ指導する。
特別回(2008年夏)
さんまが総合司会を務める『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』のコーナーとして生放送。
フジテレビ湾岸スタジオ屋上からのロケ中継。木村曰く「さんまさんの休憩時間」。
夏場の屋外らしく、シャワーを用意。
6名の水着美女と渡辺和洋アナウンサーが登場。
シャワーのボタンを押すとサウンドステッカーのBGM『ベンチャーズ』がかかり、特殊効果が水をかけて水浴び状態に。
また屋外猛暑の撮影だったため、さんまや木村は汗だく。
さんまの食事決め「看板娘お勧め料理」を木村が進行。
輪島功一も4品目の選択肢として出演。
さんまは雪村そばと湾岸スタジオ社員食堂AOMIの香港風豚焼き丼を注文。
木村は余った游玄亭の焼肉を注文。木村がさんま専用前掛けを着用。
2006年正月の本放送でカットされたゲーム「携帯電話番号ルーレット」(ルールは、相手の携帯電話機の登録電話番号を50音の1文字と数字の組み合わせを指名させてかけさせる)。
二人とも黙々と電話を調べ、中井貴一とラモス瑠偉に生電話した。
木村が『オレたちひょうきん族』で人気を博した「タケちゃんマン」ならぬ「タクちゃんマン」に扮し、さんま扮するブラックデビルとだるま落としで対決。
タクちゃんマン(木村)登場の際、木村は「俺、この間まで総理大臣(『CHANGE』の朝倉啓太)だったのに」とぼやいていた。
その後さんまはV4スタジオへ戻り「爆笑!列島カーペット」内で、「限界超えた、屋上で炎天下でコントをするのはやめよう。」と、この回の「27時間テレビ」では一番大変なコーナーだった事を語る。
これが後の2014年夏の特別回のリベンジに繋がる。
第7回(2009年)
2人でゴルフ対決を行う。
『タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ』の名物コーナー「英語禁止ホール」なども行った。
水泳対決として、さんまVS木村で50m平泳ぎ真剣勝負を行った。
結果、さんまが勝ち罰ゲームで木村が10mからの高跳びこみをおこなった。
特別回として夏に行われた、タクちゃんマンvsブラックデビルのリベンジを行い、再びだるま落としに挑戦。
さんまの嫁探しはあまりにも過激すぎ、放送は微量になってしまった。
エンディングは昨年の27時間テレビでBEGINに急遽作ってもらった『笑顔のまんま』を歌う。
第8回(2010年正月)
木村の「ビビる事をしてみませんか?」の提案で戦闘機に乗ることに。
その後、特別にブルーインパルスに搭乗出来る許可を得た。
2人は事前に別日研修を受け、搭乗当日を迎えるが搭乗直前になってさんまが搭乗拒否。
木村1人で乗ることとなった。
移動車は2008年放送のFNS27時間テレビでビートたけしに落書きされた、さんまのメルセデス・ベンツ・Gクラスを迷彩色に塗り直したもの。
対決はさんまの「テニスしようか?」から2人でテニス対決の予定だったが、その後話が進み「2対1だったら杉山愛に勝てるわ。」とさんまが言ったことで、さんま(ロジャーさんまフェデラー)・木村(ラファエル拓哉ナダル)vs杉山の2対1で対決を行うことに。結果は杉山の圧勝。
2009年の歴女ブームを受け、牛若丸の八艘跳びの逸話を基に、牛若丸超えを目指し跳び箱に挑戦することに。
さんまは早々に断念したが、木村は17段まで跳ぶことに成功。
しかし牛若丸は、科学的に計算すると39段跳べるとなり、遠く及ばなかった。
今年もさんまの嫁探しコーナーは、「正月のこの時間に放送を見てくれている男の為なら、もう結婚は諦めてもいい。」とのさんま発言により、「結婚断念記念スペシャル」とし、正月昼の時間帯ギリギリの放送を行う。
しかし、会社がアウトと判断すると自主規制が入り、何度か映像が遮断されてしまった。
エンディングの歌はマイケル・ジャクソンの案も出たが、結果忌野清志郎を歌うことに。
仲井戸麗市をゲストに迎え、『毎日がブランニューディ』を歌唱。
特別回(2010年夏)
正式タイトルは『SMAP×SMAPスペシャル さんタク ブルーインパルス完全版』。
本年に放送されたブルーインパルス搭乗に関する部分を、未公開映像と共に放送。
この際にスタジオシーンは同年正月の回に放送された映像の編集版が使われた。
この時期のフジテレビ月曜日の通常週で放送されている『月の恋人〜Moon Lovers〜』(木村主演のドラマ)、『ホンマでっか!?TV』(さんまの番組)の各番組が休止であった為の措置の一つでもあった。
番組の最後に来年の『さんタク』は何をやるかについて、新撮された2人のコメントが放送された。
番組初の夏での放送だった。
第9回(2011年)
2006年以来放送時間が2時間を超えた。
ONE PIECE好きなさんまと木村。
それにちなみ、さんまが「冒険がしたい」と提案。
様々なロケを行ってきた『さんタク』で未だ行っていない地中へ冒険と宝探しを行うことに。
移動車のBGMに初めてDJが挿入され、クリス・ペプラーが務めた。
冒険がテーマであるにも関わらずなぜか沖縄・おきなわワールドを訪れる。
冒険前に施設内のハブショーを観覧。女性ショースタッフ弄りなどで盛り上がる。
いよいよ洞窟(玉泉洞)へ宝探しに。道中約30cmの穴をくぐるなど体力的・精神的に2人共参るも、鍾乳石の美しさなどに感動。
ついに宝(ケイブパール)がある地点に到着し宝を持ち帰ろうとするが、ケイビングのマナーとして洞窟内の物は外部へ持ち出してはならない事が伝えられる。
対決はONE PIECEハマった記念でONE PIECEフィギュアをかけたそげキング対決(パチンコ対決)。
過去のダーツ・射撃対決で勝利しているさんまが2連勝。木村も最終対決は勝利する。
さんまが様々なスタッフに見たいと話している山火事で咲く花をスタッフが入手。
トースターで種に熱を与えスタジオで花を咲かせてみる。
しかし、この件のスタッフの扱い方や想像と違った花の咲き方でさんま唖然。
歌は木村が自身の主演映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の主題歌「LOVE LIVES」(スティーヴン・タイラー)を古代進のコスチュームを着用して歌った。
第10回(2012年)
第3回(2005年)以来の元日放送。テーマは「復活」。
桑田真澄などの復活劇が紹介された。
エンディングは岩手県釜石市の少年野球チームと笑顔のまんまを歌った。
第11回(2013年)
2年連続の元日放送となった。
ロケ企画は「11年目に入り、身も心も改めて引き締める」として南足柄市の「夕日の滝」で滝行を行った。
スタジオでは「女性のイラ立ち」として女性ゲストが男性に抱える苛立ちをさんまと木村にぶつけるトークを前後篇に分けて行った。
前篇では大久保佳代子・LiLiCo・MEGUMI・小島慶子・加賀美セイラ・森崎友紀・小森純・芹那・冨永愛・トリンドル玲奈、後篇では大久保・剛力彩芽・壇蜜・嗣永桃子・舞川あいくが登場した。
歌はロケ先で「あんた」を木村とさんまがセッションした。
第12回(2014年正月)
番組12年目に突入。当番組が始まってから干支が1周した年でもある。
3年連続の元日放送になった。
例年まで夕方の放送だったのだが、今年はさんまの番組『ホンマでっか!?TV 新春4時間超え!冬の新番組豪華出演者大襲来SP』の放送が19:00からだったため、少し早めの昼過ぎの放送になった。
『THE ONE』をテーマに、木村とさんまが未来のオリンピック候補と本気の勝負を挑んだ。
番組終わりに披露した曲は、番組初のオリジナル曲だった(トータス松本が作詞作曲で トマトジュースだよんトマトジュースだよん)。
特別回(2014年夏)
SMAPが総合司会を務める『武器はテレビ。 SMAP×FNS 27時間テレビ』のコーナーとして生放送。
最初は、ざわちんの北川景子風ものまねメイクを扉越しに見る事に。
コーナー序盤のさんまと木村でスタジオでトーク中、さんタクでおなじみの本物のバーテンダー(一般人)がお茶を届けるタイミングが、さんタクコーナー直前に発走した競馬エルムステークスの支払い配当結果のタイミングと重なって、配当結果中継の画面に切り替わる直前で競馬好きのさんまが動揺。
スタジオトーク後、屋外で「SMAPノンストップLIVE」の番宣CMを、さんまが監督のもと、SMAPがペンギンの格好をして撮影された。
第13回(2015年)
SMAPのコンサートツアー「Mr.S "saikou de saikou no CONCERT TOUR"」福岡公演にさんまがサプライズでゲスト出演し、『アミダばばあの唄』を2人で歌った。
スタジオでは2人の頬の粘膜から遺伝子を採取して遺伝子検査を行い、学習能力・身体能力・感性のカテゴリーにおいて2人の遺伝子が持つ潜在能力を比較した。
スタジオトークの収録日が木村の誕生日であったためさんまが木村に鞄を贈り、そのお返しとして木村がTシャツをプレゼント。
Tシャツを購入した古着屋を2人で訪問した。
日本人の青色発光ダイオードの発明における2014年度ノーベル物理学賞受賞を受けさんまが「LEDを使った何かをしたい」と提案し、LEDの残像を動画に残す技術を利用しひょうきん絵描き歌を空中に描いた。
また、LEDパネルを利用し1人1文字ずつ手描きで巨大な「賀正」の2文字を描いた。
完成後、LEDスティックによるプログラミング技術を見せられ、2人で改めてプログラミングされた「賀正」の文字と新年のメッセージを描画した。
歌は、上記のコンサートで木村が自身のソロ曲『One Chance!』を歌う模様を放送した。
第14回(2016年)
5年連続の元旦放送。
なんばグランド花月で行われた夜公演「滑浪」にさんまと木村がサプライズ出演し、「滑浪」のMCをしていた次長課長の河本と3人で披露した。
第15回(2017年)
諸事情により元日放送はされず、4月10日の21:00 - 23:18に放送された。
番組史上初となるゴールデンタイム・プライムタイム及び春での放送となった(つまり年頭ではなく年度初頭での放送となる)。
なお、収録は3月に行われた。初の珍事・出来事・緊急事態発生だった。
例年の元日より約3ヶ月遅れの放送となった諸事情は、さんま曰く「大晦日のSMAPの解散の翌日にこの番組で陽気に2人が喋って番組をやるのは違和感があるから、あえて放送時期を4月にずらそう、っていうことになった」と語っていた。
オープニングトークにて、さんまがSMAPの解散について言及し「(解散から)3カ月間、プータローやったらしいで」と暴露したうえ、さらにSMAP解散直後に木村が『関口宏の東京フレンドパーク2017新春ドラマ大集合SP!!』(TBS系、1月9日)に出演していた件にまで言及した。
木村がさんまの1日付き人を体験するロケでは、ゴルフ練習場や、さんまのラジオ番組『ヤングタウン土曜日』のスタジオ(この日は、石川梨華入籍発表直後、道重さゆみ復帰後メディア初仕事、岡田ロビン翔子は木村と初共演。や『さんまのお笑い向上委員会』の収録スタジオなどを訪問した。
また、2人が出演した主なドラマの名シーンをめぐる「聖地巡礼の旅」として、『男女7人秋物語』(さんま)に登場した清洲橋や、『ロングバケーション』(木村)に出てきた新大橋などを船で巡った。
歌は、船上から木村が『ロンバケ』主題歌である『LA・LA・LA LOVE SONG』(久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL)をギター一本で披露した。
なお、翌年より再び正月放送に復帰となるため、年度初頭且つゴールデン・プライム枠での放送はこの回限りとなった。
第16回(2018年)
約2年ぶりの正月放送復帰となるこの回は、1月1日の16:00 - 18:00の枠で放送。
主なゲストとして渡辺直美らが出演。
歌は「トリセツ」
第17回(2019年)
一級船舶免許を取得した木村拓哉の操舵で海へ
歌は「君といつまでも」
第18回(2020年)
翌年1月に舞台を控えた明石家さんまさん ギリギリまで『グランメゾン東京』の撮影があった木村拓哉。
忙しい合間を縫って奄美大島へロケ。
歌は、木村拓哉の初ソロデビューアルバムから「A Piece Of My Life」
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