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関西テレビ制作でフジテレビで放送されているバラエティ番組「さんまのまんま」2022秋の見逃し配信を無料視聴する方法を紹介したいと思います。動画配信といえばTVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)などが思い浮かびますが、無料動画配信はそれらのサービスが全てではありません。
今回ご紹介する「さんまのまんま」の動画は現在配信されていませんが、今後配信されるとすれば、それは動画配信サービス「U-NEXT」になるのではないかと思われます。
それでは「さんまのまんま」について紹介していきたいと思います。
「さんまのまんま2022秋」長澤まさみ登場
📢今夜9時放送!
番組の中で登場する
見取り図・リリーさんイラスト入り
特製トートバッグを3名様に!🎁❶@kanteleをフォロー
❷#さんまのまんま を付けて
❸この投稿を引用RT締切▶︎放送終了まで!
どんなバッグかは…番組を👀
チェック✅ pic.twitter.com/6xuJ4ejCZ9— カンテレ (@kantele) October 2, 2022
【7年ぶり・長澤まさみ登場▽4歳歌姫VS67歳お笑い怪獣】
長澤まさみが見取り図&ニューヨークに衝撃ムチャぶり発動?▽4歳歌姫ののちゃん熱唱に阿部サダヲ&松下洸平もメロメロ▽車いすテニス世界一国枝慎吾のスゴ技にさんま興奮
7年ぶり登場の長澤まさみとは明石家さんまは長いお付き合い!お決まりの「ホンマや!」が飛び出し長澤も終始上機嫌だったが…これが後々とんでもない事件を巻き起こすことに!▽今人気爆発の見取り図&ニューヨークが初登場!長澤に「この中で一番のタイプは?」とガチ質問!長澤が選んだ芸人の名前にさんまが嫉妬!?さらにめったにない機会だと、2組がさんまにガチ質問&相談をする場面も!
▽4歳の歌姫“ののちゃん”こと村方乃々佳は「さんまさん遊ぼう」とリュックからおもちゃを取り出しマイペース!あまりの可愛さにさんまも、合流してきた阿部サダヲ&松下洸平も速攻でノックアウトされる!さらに、阿部&松下は普段疲れる67歳さんまを癒そうとプレゼントを持参!さんまが「絶対持って帰る」と気に入ったグッズとは一体?
▽プロ車いすテニスプレーヤーで東京オリンピック金メダリストの国枝慎吾はさんまと初対面!オリンピックもチェックしていたさんまは国枝のスゴ技に興奮!一時期、引退を考えていたことも明かし、さんまを驚かせる!さらに、車いすテニス界へのさんまの仰天アイディアに国枝も大喜び!
「さんまのまんま」の出演者
明石家さんま
長澤まさみ
見取り図
ニューヨーク
村方乃々佳(ののちゃん)
阿部サダヲ
松下洸平
国枝慎吾(プロ車いすテニスプレーヤー)
「さんまのまんま」の詳細
ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました!
気になる箇所へ飛んでみてくださいませ!
「さんまのまんま」の概要
「さんまのまんま」は、関西テレビ制作のフジテレビ系列のトークバラエティ番組。明石家さんまの冠番組の1つ。
1985年4月8日から2016年9月24日までレギュラー放送され、レギュラー終了後は不定期特番として放送されている。
明石家さんまの自宅マンションに見立てた番組セットに、毎回ゲスト1組(スペシャルの場合は多数が出演)を招いてさまざまなトークを展開する。
当初は無観客で収録が行われていたが、2000年代以降の放送では、約20人程度の女性の観客を入れている。
また、セット後方の床の間には、ゲストにまつわる一言が書かれた掛け軸が掛けられている。
制作局の関西テレビのほか、全国各地で放映されている(フジテレビを含めフジテレビ系のほぼ全局で放送されているものの、スペシャル版を除けば基本的に番組販売で系列局に販売されている番組であり、ネット各局によって放送時間も異なることからローカル番組として扱われる場合もある)。
番組には主題歌もあり、作詞:明石家さんま、作曲:桑田佳祐、ダンス振付:中森明菜というメンバーで作られている。
ゲストは新人・若手・ベテランといったキャリア、お笑いタレント・ミュージシャン・俳優などといったジャンルを問わず幅広く出演している。
収録スタジオはレモンスタジオ(東京メディアシティ内、関西テレビ関連会社)で行われている。
同所での収録は1992年3月からである。
初期はフジテレビ本社(当時、新宿区市谷河田町)のスタジオで、1980年代末期頃からレモンスタジオへ移転するまでの間は渋谷ビデオスタジオでそれぞれ収録を行っていた。
フジテレビで収録していた時代は「制作協力:フジテレビ」のクレジットがスタッフロールに毎週含まれていた。
お正月や秋の改編期に毎年2回、総集編を兼ねたスペシャル番組「さんまのまんまスペシャル○○(西暦)」、「新春大売出し!さんまのまんま」を全国ネットで放送している(概ね正月2日15時45分 - 18時30分に放送される)。
レギュラー放送時代は、3ヶ月に1回程度で総集編「臨時発売!さんまのまんま大全集」が放送されていた。
こちらは土・日を中心に放送されるが、各局とも放送日が異なっており、地域によっては特番やスポーツ中継による枠の確保ができない場合、2 - 3本まとめて放送されたケースもある。
当初は、全国ネットでもゴールデンタイム・プライムタイムの一律同時スポンサードネットで放送される予定もあったが、さんまが「ゴールデンで放送してしまうと番組の趣旨が変わる」という理由で拒否した。
レギュラー放送末期は全国的に土曜に放送するネット局が圧倒的に多かったが、東海テレビのように平日に放送されているケースもあった。
関東地区では長年深夜枠で放送されていたことから、出演者の中にはこの番組を深夜番組と認識していた人も多く、比較的あけすけなトークをするゲストも多かった。
最高平均視聴率は1987年1月12日放送分の31.8%。
かつて「なんばグランド花月」の地下にあった施設「吉本笑店街」に「マンマベーカリー」というブースがあった。
名前こそパン屋であるものの実際は「さんまのまんま」のヒストリーブースとなっており、番組の歴史を垣間見ることができた。
2007年3月23日(フジテレビでは4月6日)放送で放送1000回目を迎えた。
その日のゲストはビートたけし。
放送1001回目のゲストは、さんまの師匠でもある笑福亭松之助(数年ぶりの共演)だった。
その後は松田聖子、長渕剛、松本人志などといったゲストが続いている。
このことに関しさんまは「(民放連から外れたから)開き直っているな」と話した。
2007年4月13日放送分からハイビジョン制作の放送を開始。
また、同放送分から「にゃんま」という猫のキャラクターが新たに登場した(「にゃんま」は、まんまの彼女という設定である)。
ただし2010年代以降は「にゃんま」の登場機会が減っている。
関西テレビ制作のバラエティ番組としては一番の長寿番組となり、『ノックは無用!』が持っていた22年9ヶ月という記録を2008年1月に塗り替えた。
番組開始から25年を経た2010年、初のDVDとして『さんまのまんま〜永遠のスター編〜』が同年10月2日に発売された。
2016年9月をもってレギュラー放送を終了し、以後は年2回ペースで特別番組として放送することが2016年8月4日に正式に発表された。
そして、同年9月24日放送分をもって31年半のレギュラー放送に終止符を打った。
なお、レギュラー放送最終回のラストでは10月に放送される特番について告知を行ったのみで、番組中ではレギュラー放送の終了については触れなかった。
後継番組は同年11月5日に放送開始した『おかべろ』。
後日談として、当初は2年前に放送を終了する予定だったが、放送期間を延長した理由が2011年8月に芸能界を引退した、同期で盟友の島田紳助の芸能界復帰を待っていたためであると、2016年11月26日放送の『誰も知らない明石家さんま 初のロングインタビューで解禁!』(日本テレビ)でさんまが明かしていた。
2018年1月13日の16:30 - 17:00に「星野仙一さん追悼」、2018年2月25日の16:55 - 17:25に「大杉漣さん追悼」として、当番組に出演した回が、関西テレビにて再放送され、ネット局でも放送された地域がある。
レギュラー放送開始時からタイトルロゴは一貫して変わっていなかったが、2020年夏のスペシャルより2代目のものに変更された。
「さんまのまんま」の出演者
「明石家さんま」について
「明石家さんま」は、日本のお笑いタレント・司会者・俳優。
吉本興業所属。本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)。番組企画や構成等では、本名名義でクレジットされることもある。
和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)生まれ、奈良県奈良市出身。
落語家を志して2代目笑福亭松之助の弟子となり、高座名・笑福亭さんまとしてデビューするが、師匠の推薦でタレントに転向し、屋号を明石家に変えた。その後は1970年代後半から現在まで芸能界の第一線で活躍を続けている国民的お笑いスターの1人であり、ビートたけし・タモリと並び「お笑いBIG3」と称される。
1955年に和歌山県串本町の水産加工業の次男として生まれる。3歳の時に奈良県に転居し、出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時に捕まえたムササビが展示されている。また、当時は「ムササビを捕まえた少年」として話題になった。教師の薦めで東大寺学園中学校を受験したが不合格となり、その後奈良市立三笠中学校に進学した。奈良県中学生相撲大会で2位になったことがある。中学時代は同級生2人と「アーアーズ」といういたずらグループを結成し、遊びに興じていたという。 また植木等のモノマネをしていた。
奈良商業高校時代もクラブ活動はサッカー部に所属したものの、決して真面目な生徒ではなく何度も別のクラスの授業を悪戯で妨害するなどで学校中の人気者となり、さんま自身も「自分の頂点は17歳」と公言している。当然教師からは目の敵にされ、高校3年の運動会で徒競走で逆走した際に、それに怒った教師にPTAなどの前で追い掛け回されたりするなどのエピソードがある。 またクラスメイトの前で桂三枝の落語のコピーや自身の新作漫談もよく披露し、ある英語教師も授業を時々中断してはそれを黙認していた。そしてその才能に驚いた教師に「杉本、おまえ、吉本入れ」と言われ、徐々に芸能界に興味を持つようになった。 奈良商業高校時代は授業を抜け出してパチンコに興じ、得た収入を仲間に分配していた。
弟子入り
1974年2月、高校3年の時に笑福亭松之助に弟子入り。入門の動機は、花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったからだという。初めて顔を合わせた際、松之助に「なぜ僕を選んだのか」と入門の理由を問われたさんまは「センスがよろしいから」と、素直な気持ちを伝えたつもりだったが、これに対し松之助は「そら、おおきに」と返答。この日すぐ松之助はさんまを自身の仕事先であるラジオ局に連れて行った。
高校卒業後の3月に正式に内弟子修行を開始。入門生活は丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だった。高座名は「笑福亭さんま」が与えられた。
しかし半年もしないうちに内弟子修行を放り出して、当時交際していた女性と共に上京し、東京で一旗揚げようと試みる(いわゆる「さんま駆け落ち事件」)。しかし、東京での生活はうまくいかず、さんまは一時帰阪した際、松之助から借りていた本を返すという口実で、松之助宅を訪ねたが、松之助はさんまを一切叱ることなく、明るい声でさんまを激励した。このときは正式な弟子復帰に至らなかったが、松之助は「さんまが帰ってくるから、よろしゅう頼むわなぁ」と上方落語界や吉本興業への根回しをしており、直後にさんまと交際していた女性が別の男性と結婚し、さんまは内弟子修行に戻ることを決意して、なんば花月の松之助の楽屋を訪ねた際、松之助は「何もいうな、ついてこい!」と、師弟で初めて食事に行ったラーメン店にさんまを連れ出した。その後笑福亭のままでは反発があると、松之助の計らいでそれまで屋号を名乗っていた笑福亭ではなく「明石家さんま」として再出発した。
関西ローカル時代
1976年1月15日放送のよみうりテレビ制作の『11PM(大阪イレブン)』にて生放送された、20歳を迎える上方落語家をスタジオに集めてトークする企画「20歳の性熟度ピンクテスト」に出演。松之助は着物ではなく「赤いブレザーを着ていけ」と指示し、出演者の多くが着物姿の中、指示に従って営業用の赤いブレザーを着用して放送に臨み、よく喋ったさんまは目立った存在だったという。これがさんまのテレビデビューだった。
弟子になってから2年が経ち、通い弟子を卒業したさんまだが、テレビの出演オファーは全く無く、不定期の花月劇場の出番と落語会の出番の他、同期の島田紳助とイベント司会などの営業活動を行なっていたのみで、ほぼ毎日のように先輩芸人の森啓二とナンバ五郎(のちのMr.オクレ)とプラプラしてるだけだったという。ある日、毎日放送の『スタジオ2時』の企画「若手漫才選手権」に兄弟子の明石家小禄と漫才コンビとして出場を打診され、他に仕事もなく、松之助の助言もあり出場。小禄との漫才では、巨人の1番柴田から8番河埜までの選手の形態模写を順番に披露し、最後に巨人のエース小林繁の投球フォームを披露するネタが客にウケ、徐々に人気が高まった。その事もあり1976年の大晦日にフジテレビ『小川宏ショー』に出演。前述の形態模写で同年に活躍したスポーツ選手ネタだったが、これが東京での初仕事となった。翌1977年2月からうめだ花月に漫才コンビとして出るようになり、吉本興業から「アトム・スリム」として正式にデビューを打診されるが、さんまはピンで売れたい気持ちが強く拒否し事実上のコンビ解消となった。同時期に島田紳助からも漫才コンビを組む事を打診されるが拒否し、代わりに松本竜介を紳助に紹介し「紳助・竜介」結成に大きな役割を果たしている。
1977年10月にはB&B、のりお・よしお、ザ・ぼんちらとのコントユニット「ビールス7」を結成し、花月の舞台に定期的に出演していた。それらの活動が桂三枝の目に留まり、彼が司会する毎日放送の人気番組『ヤングおー!おー!』に抜擢。三枝の愛称「サニー」にあやかって「チャッピー」と愛称を付けられ、三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわし、林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍の番組内ユニット「ザ・パンダ」を改編して、さんまを加入させた「サニーズ・オオサカスペシャル(S.O.S)」を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる。その流れで1978年10月には『MBSヤングタウン』の桂三枝のアシスタントに抜擢。さらに同じ頃にプロ野球において「空白の一日」事件が起こり、巨人の小林繁が阪神に移籍すると、前述の小林の形態模写が再び脚光を浴びて、同形態模写をモチーフにしたレコードを出し、大ヒットするなど関西を中心にアイドル的な人気となる。
全国区のスターに
1978年のフジテレビ正月特番『はつもうで、三枝の爆笑ヒットパレード』に出演。その番組のスタッフだった横澤彪や三宅恵介との出会いから『スター千一夜』をはじめ、その後も両者が担当するフジテレビの多くの番組に重用される事になる。1979年10月にはニッポン放送で『明石家さんまのオールナイトニッポン』などレギュラーをもつなど徐々に東京にも進出しはじめ、1980年代に入ると、ピン芸人にもかかわらず漫才ブームに乗っかって『THE MANZAI』等に出演していた。
1980年に吉本興業が東京に本格的に進出するために東京連絡所を設立、漫才ブームが徐々に失速する中、さんまと紳竜が先頭に立って東京での仕事を増やし始めて、『笑ってる場合ですよ』、『オレたちひょうきん族』に主要レギュラーとして出演、さらに同年放送開始の『さんまのサタデーナイトショー』(テレビ東京)で、冠番組を獲得している。1983年12月に『のんき君』(フジテレビ)でドラマ初主演を果たすなど、当時は下に見られていた東京での大阪芸人としての地位を築くとともに、大阪中心から東京中心に活躍の場を移した。しかしこの時期に仕事の量と給料が全く釣り合わず、密かに吉本を辞める決心をしていたが、東京支社長の木村政雄から吉本の看板でいて欲しいと言われ、思いとどまったという。
1984年4月からは『笑ってる場合ですよ!』後番組の『笑っていいとも!』で金曜日レギュラーとして出演。特にさんまが「10分でいいからタモリさんと雑談するだけのコーナーをしたい」とプロデューサーに頼み込み、結果として10年以上続く人気コーナーとなった。これがきっかけで1985年6月、第1回東京国際映画祭において、タモリと共に総合司会を務める。しかしその司会ぶりが「ふざけた司会者」・「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。2回目以降も総合司会を任される予定だったが、結局1回限りで降板になった。
この時期は多忙を極め、大阪と東京を週に何往復もしていて、1985年8月12日、『MBSヤングタウン』出演のため、伊丹行きの日本航空123便に搭乗する予定だったが、搭乗前の「ひょうきん族」の収録が予定より早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたためにその墜落事故を免れた。同日放送の「ヤングタウン」では、「いつも使ってる便やから…」とショックを隠せず、この経験を機に飛行機に乗れなくなってしまい、東京・大阪間の移動などは新幹線を利用するようになった。また、この経験から生まれたさんまの座右の銘が「生きてるだけで丸儲け」であり、娘IMALUの名前の由来になっている。また、笑顔のまんまの歌詞にもこの言葉が使われている。
1986年7月よりTBSテレビドラマ『男女7人夏物語』、1987年10月よりその続編である『男女7人秋物語』に主演し、いずれも最高視聴率が30%を越えるなど名実ともに国民的スターとなる。同番組で大竹しのぶと親しくなる。
1987年4月、ナムコ(現在のバンダイナムコエンターテインメント)がファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売し、人気を博す。しかし吉本興業が本人の許可を取らずにメーカーに制作・発売を許可したため、事実を知ったのは発売後だった。
同年7月18日 - 7月19日にかけて生放送された『第1回FNS27時間テレビ・FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島』の総合司会をタモリと共に担当。深夜のコーナーでフライデー事件で謹慎していたビートたけしが登場。これをきっかけにして、タモリ・たけし・さんまで、正月にゴルフ番組をしようとする企画が生まれ、その番組のタイトルが「BIG3」となり、結果的にこの3人がBIG3とよばれるようになった。翌1988年は司会を辞退したが、1989年にも『FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89』の総合司会を再びタモリと共に担当した。
大竹しのぶとの結婚・離婚
1988年10月、『男女7人秋物語』の出演以降も交際が続いていた女優の大竹しのぶと結婚、翌1989年に娘のIMALUが誕生した。
1989年10月で『ひょうきん族』が放送終了すると同時に、しばらくは育児に専念するため仕事を控えるようになり、全国ネットのレギュラー番組も『笑っていいとも』、『さんまのまんま』、『あっぱれさんま大先生』のみとなり、ゴールデン帯のレギュラー番組が一時期なくなっていた。また1991年にはOVA『リリが見たやさしい虹』を原案および声優(ジョー役)として参加(リリ役は大竹)。また絵本としてもさんま名義で出版(ストーリーは脚本家の君塚良一)するなど、家庭的なイメージを見せていたが、しかしそれにより5年連続して1位だったNHKの『好きなタレント調査』で15位にまで急落するなど、一時的に人気に陰りが見えていた。
1992年9月、大竹と離婚。バブル崩壊も相まって、しばらくは8億5千万円の豪邸が中々売却できずに、「同情するなら家買って」など自虐ネタなどもギャグにしていた。結局数年後3億円まで落として売却されたため、5億円の借金が残った。そのため1992年4月から、『さんまのからくりTV(1996年4月から『さんまのSUPERからくりTV』)』、1993年4月から『さんまのナンでもダービー』、1994年4月からは『恋のから騒ぎ』がそれぞれ放送開始するなど仕事の量も増やし、前述の好感度調査も1995年には6年ぶりに1位になり、1998年以降は再び連続して1位になっている。
番組スタッフとの確執がきっかけで、1995年9月を以て金曜レギュラーとして11年半出演した『笑っていいとも!』を降板。
男女七人秋物語出演以降は、主演としてのドラマ出演も控えていたが、『恋も2度目なら』(1995年1月~3月、日本テレビ)、『その気になるまで』(1996年4月~6月、TBS)、『恋のバカンス』(1997年1月~3月、日本テレビ)、『世界で一番パパが好き』(1998年7月~9月、フジテレビ)、『甘い生活。』(1999年7月~9月、日本テレビ)など離婚後は年に一回のペースで主演を務めていた。その他では1996年1月10日にはフジテレビの田村正和主演の『古畑任三郎』シーズン2の初回スペシャルにゲスト出演し、やり手の弁護士を演じる。第1シーズンは平均視聴率は10%台半ばだったが、この放送で視聴率25%をたたき出し古畑を人気シリーズへとを高める役割を果たした。
大御所芸人として
90年代までは『いいとも』金曜日の雑談コーナーや『車庫入れ事件』に代表されるように、BIG3の立ち位置でもビートたけしとタモリにいじられる役割が多かったが、90年代後半あたりから、ナインティナインはじめ一回り以上離れている後輩芸人がどんどん出てきて、お笑いBIG3の一人として大御所の立場に変化しはじめると、後輩芸人に対してお笑いに対してよりストイックになり、そのために本番中であろうがあまりのダメ出しの多さに「めちゃイケ」にゲスト出演した際にナインティナインの岡村隆史から『お笑い怪獣』と呼ばれだしたりして、それがさんまを表す代名詞として定着した。
SMAPと親交を深め、特番はじめ年一回のレギュラーとして、2000年から2016年までは中居正広と『さんま・中居の今夜も眠れない』で共演するなど多くの番組で各メンバーと共演した。その中でも2002年の『空から降る一億の星』(フジテレビ)のW主演での共演をきっかけに、木村拓哉と特に公私ともに親交を深め、2003年からは毎年の正月特番として『さんタク』で共演を続けている。
2003年、自身としては初めての戦争ドラマに挑戦したTBSドラマの『さとうきび畑の唄』に主演し、平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞受賞作品するなど、高い評価をうけた。しかし、戦争映画特有な過酷なロケに対して自身は「もう二度と戦争ドラマには出たくない」と語っており、ドラマ内の名セリフ「こんな事をするために生まれてきたんじゃないんですよ」を自らパロディにしたりして笑い話にしたりしている。
2009年に娘のIMALUが芸能界デビュー。当初は猛反対していたが、デビューするにあたっては発表前日に突然元妻の大竹から聞かされた後は諦念し、「とにかく人の倍は努力せなあかん」とアドバイスを送った。
2012年4月8日、なんばグランド花月にて行われた、「吉本興業創業100周年特別公演・伝説の一日」の4回目に出演。大トリとして、『さんまの駐在さん』が25年ぶりに復活した。本公演には、当時のレギュラーメンバーであった月亭八方や間寛平、村上ショージ、ジミー大西の他に、今田耕司や岡村隆史、桂三枝、西川きよし、師匠の松之助など総勢51名が出演した。
還暦以降
2015年7月に還暦を迎え、還暦記念してフジテレビで『さんまでっか!?TV』、毎日放送で『痛快!明石家電視台 明石家さんま生誕年SP』などが放送され、番組はさんまのゆかりの芸人らが出演し思い出に花を咲かせた。さんまは還暦を迎えるにあたっての心境として、一時期引退も考えていた。しかし、吉本幹部はじめ芸人仲間の反対や、特に爆笑問題の太田光に「ぼろぼろになるまでやって欲しい。今辞めたらかっこよ過ぎる」などと言われ、最終的には撤回した。
還暦を越えてからテレビタレント以外の活動として、プロデューサー業にも携わるようになり、2018年にはジミー大西の半生をドラマ化した『Jimmy~アホみたいなホンマの話~』をNETFLIXでプロデュース。これまで構成や企画としての番組参加はあるが、プロデューサーとしての番組制作に携わるのは初めてだった。当初は小出恵介がさんま役を演じ、前年に実際にクランクアップまでされていたが、配信開始直前に小出が不祥事を起こしたため、お蔵入りの危険もあったが、最初にオファーされていた玉山鉄二が代役として、さんま役のシーンをすべて撮り直し再編集した形で当初予定より1年延期して2018年夏に配信された。さんま自身、本編には出演しなかったものの、毎話のオープニング解説と最終話のラスト後に制作秘話を振り返る形で出演した。なお、さんまは小出についてニューヨークまで会いに行くなど、その後も小出と親交を持っている。
2015年11月に『さんまのまんま』で共演した直木賞作家の西加奈子との縁で、彼女の小説『漁港の肉子ちゃん』の映像化の権利を取得。当初は実写映画化を考えていたが、西の希望によりアニメ化されることになり、同プロジェクトにプロデューサーとして参加。2年余りの製作期間を経て2021年6月に上映した。
「さんまのまんま」の放送内容
「さんまのまんま2022初夏スペシャル」Snow Man(スノーマン)出演
『#さんまのまんま 初夏SP』#SnowMan 初出演!#岩本照 さん💛#深澤辰哉 さん💜#向井康二 さん🧡がさんまさんとシェー!
さんまさんに渡したお土産とは…?🍉6月17日(金)夜8時(全国ネット)
🍉ザ・ドリフターズ(加藤茶さん/高木ブーさん/仲本工事さん)勝地涼さん、千葉雄大さんら出演! pic.twitter.com/iqBvChUQoB— カンテレ (@kantele) June 10, 2022
Snow Man岩本、深澤、向井がさんまとシェー!メンバー佐久間大介とさんまの仲のよさに嫉妬!?
さんまとザ・ドリフターズの間に、45年越しの因縁の事実が発覚!
さんま、勝地、千葉が独身3人で同居計画!?“独身家事あるある”で大盛り上がり!
「久々にお会いする先輩方です」とさんまも緊張するザ・ドリフターズ (加藤茶・高木ブー・仲本工事)の3人が登場。加藤は79歳、高木は89歳、仲本は80歳ということでさんまは「すごい平均年齢」と思わず笑ってしまう。一時期、加藤の体調が心配だったというさんまだが、元気な姿をみて「今日ビックリしてます」と言うと、加藤は「かみさんの介護のおかげ」と妻・加藤綾菜に感謝の言葉をのべる。「奥さん、ええ人やと僕言うてましたよね!」とその人柄を早くから認めていたというさんまは、加藤から、綾菜が仲本と高木の面倒も見ていると聞き驚愕する。また、孫と一緒に暮らす高木は、娘の結婚の際にある条件を出したこと明かすと、さんまはうらやましがりながらも「その条件IMALUに出さなあかんか。自信ないなあ」と悩み始めてしまう。
そして、45年ほど前のザ・ドリフターズとのハプニングを思い出したさんま。まだ20歳だったさんまは、ある営業で、到着が遅れていたザ・ドリフターズが来るまで、舞台で1時間半もアドリブでしゃべり続けたそう。3人もこの出来事を覚えていたものの、その若手がさんまだったと認識してはおらず、45年越しに改めて御礼を言う。ところが、到着が遅れていた理由にさんまが知らなかった事実が判明!怒ったさんまが加藤にあるお願いをする!
そこへ、勝地涼と千葉雄大が「モニターが豪華」「場違いですみません」と、恐縮しながら合流する。勝地は、昨年12月に放送されたドラマ『志村けんとドリフの大爆笑物語』(フジテレビ)で加藤役を演じており、加藤から「完璧にコピーしてたね。ビックリ」と言われ感激。「(加藤の)ドキュメンタリーやコントもずっと見て。気付いたら(口調が)『あたす?』って」と、加藤茶になりきるためにしていた役作りなどについて明かす。
千葉の「独身の友人たちと互助会を作ってる」というエピソードには、さんまと勝地も独身という共通点から「電子レンジ」「洗濯物」「冷凍ご飯」など家事にまつわる“独身あるある”で「わかるわー!」と大盛り上がり。将来は3人が一緒に暮らそうという話も飛び出して!?
バラエティ—親子初共演となる狂言師の野村萬斎、野村裕基親子は、2人そろっての登場に「恥ずかしいですね」(萬斎)、「気まずくてしょうがない感じですね」(裕基)とソワソワ。初対面の裕基に興味津々のさんまは「怒られることあるの?」と尋ねると、父・萬斎が「ゲームの課金問題とかね」と暴露する。さんまが「野村家もそういうことがあるんですか!」とビックリすると、裕基が「何度か大事件を起こしてしまって…」と告白。また、野村親子はお面を付けて2人で狂言の動きを披露。目の前の貴重な光景にさんまの反応は?
Snow Man(岩本照・深澤辰哉・向井康二)の3人は、「テレビで見てたまんまですね!」と初めて訪れた“さんまの部屋”に大喜び。実は、3人には、この日さんまにどうしても気になって、言いたいことがあるという。それは、Snow Manメンバー・佐久間大介とさんまの仲。「連絡先交換しましたよね?」「(佐久間の)待ち受け画面がさんまさんとのツーショット」「めちゃめちゃ自慢してくる」と、さんまに詰め寄る。さんまは「佐久間とは不思議な縁があるんや」と、佐久間がメンバーの中で一番“○○力”が優れていたことから、連絡を取ることになった経緯を明かす。
「憧れの人」というトークでは、向井が公認でギャグを使用している芸人の名を挙げつつも、「何をしゃべったらいいかわからない」と、笑いに対する悩みを相談する場面も。深澤はお世話になっている京本政樹から、ある高価なモノを買ってもらう約束をしているというエピソードを話す。また、マイケル・ジャクソンに憧れダンスが好きになったという岩本は、メンバーにダンスを教える際の“独特な言い回し”を明かすと、さんまから「ダンスのソムリエ」と命名される。
また、Snow Manが映画『おそ松さん』に主演したことから、それぞれ演じた役のカラーパーカー衣装を持参。さらに、さんまにもある衣装を用意する。「それやりたかった!」というさんまと3人が、一緒にシェーポーズを披露!
そこへ「R-1グランプリ2022」優勝のお見送り芸人しんいちが合流。かつてさんまからもらい、再びさんまに会うためのお守りとして持ち歩いていたという“大事なモノ”を取り出し「もらってから5年かかりました」と感激する。そして、歌のお土産として、優勝ネタ「僕の好きなもの」のSnow Manバージョンを披露。3人の意外な一面が盛り込まれた歌詞に全員大爆笑!
「さんまのまんま」の出演者
明石家さんま
ゲスト
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